院長ブログ
過去にインプラントによる豊胸手術を受けた方へ
今までにインプラントによる豊胸手術を受けた方はとても多いと思います。当院の患者様でバストの定期検診のために通院をされている方にはすべての方にお伝えしていることですが、当院での定期検診を受けておられない方もあり、さらに当院以外で豊胸手術を受けておられる方もかなりすごい人数の方があるわけですから、ここで豊胸インプラントの問題についてお伝えしておきたいと思います。現在当院でバッグによる豊胸手術を受けられる方や乳がんでインプラントによる乳房再建を受けられる方には、手術後毎年定期検診をうけてもらうのがベストと伝えています。検診では乳がん検診とバッグの検診の両方を行っています。将来なにか問題があれば、すぐに対応ができるわけです。これができない方は、せめて住んでおられる地区などで、超音波による乳がん検診をお勧めしています。これで乳がんとバッグの検診の両方を受けることができます。万一ずっと受けていないとか、受けたくないという方も時にはありますので、こういう方の場合は手術から15年くらいでバッグを新しいものに入れ替えるか、除去することをお勧めしています。これは近年になってバッグの劣化という問題がわかってきたからです。現在使用されてるバッグはコヒーシブシリコンというバッグで、万一破損があってもバッグ内からシリコンが出てしまうことがないように作られています。以前のバッグは破損があるとバッグからシリコンが漏れ出て、これがバッグ周囲の被膜(カプセル)を通過して次第に周囲に拡散することがありました。こうなると漏れ出たシリコンを回収するのがとても難しくなるわけです。現在のバッグはこういう問題は起きませんが、破損した部位に次第に石灰化などが起きることがわかっています。これが起きるとしこりや痛みなどを感じるようになったり、レントゲンで影が出たりすることになります。石灰化が進行するとこれを除去するための手術はかなり面倒なことになります。
もう一つの問題は過去にどのメーカーのバッグを使用されていたかという問題です。現在アラガン社のテクスチャードインプラントだけがALCLというガンが出る可能性があるということになっています。そもそもとてもまれなガンなので、これを入れている方であっても定期検診をうけてもらい、さらに急にバストが腫れることがあれば、診察をすぐに受けるということで手遅れにはなりません。このインプラントはもともとマックガン社が開発したもので、その後イナメドという会社に買収され、さらにその後アラガン社に買収されています。同じバッグに3つの会社の名前がついていたわけです。すべて同じバッグなので、これらのバッグを使用している方は必ず定期検診を受けてください。またこのバッグを入れている方は将来バッグを除去したり入れ替える際にはバッグ周囲の被膜の除去を行うのが安全とされています。
最近はバッグを入れてから長期経過後にバッグを除去したり、新しいものに入れ替える方が多くなっています。こういう手術を検討されている方は大体豊胸手術を受けてから15年程度を目安に検討されるのがいいように思います。万一のもれや破損があっても、石灰化などが進行していませんので、バッグの除去や入れ替えも簡単にできるからです。また万一バッグ周囲のカプセルと呼ばれる被膜の除去が望ましい場合もこれくらいの時期であれば、簡単にできます。
投稿者:megaclinic
リフト効果のある脂肪注入
顔にたるみがある場合、大きい効果はもちろんフェイスリフトが一番確実です。10年から15くらい若返ることができるわけですが、たるみがわずかというケースもあります。このような場合、対策の一つは脂肪注入です。もちろんフィラーでもかまいませんが、ヒアルロン酸やレディエッセのような吸収性もものであれば、定期的に補充が必要になります。
その点脂肪注入は一度生着すれば、ずっとこの脂肪が残りますので、効果の持続の点では有利です。この脂肪注入をうまく行うとリフト効果が得られます。基本的に脂肪が顔の上のほうに多めに入ると、皮膚が持ち上がったように見えます。たとえばほほなら上のほうに多く、下のほうに少な目に脂肪注入をすると皮膚が持ち上がったように見えます。
またもう一つのテクニックとしてはほほ骨などの上側にすこし脂肪を注入しておくと、骨の上側で皮膚を引き上げる力が生まれます。これにより注入部位より下側のリフト効果が得られることになります。皮膚そのものは脂肪注入で張りが出ますので、皮膚も若い印象が出ることになります。
このような方法を使用して、脂肪注入で顔のたるみに対してリフト効果を出すことができます。脂肪注入は翌日までのテーピングが必要なだけで、翌日からは化粧も洗顔も入浴も可能になります。また抜糸もありませんので、とても楽な方法というわけです。注入のための針穴もすぐ消えてわからなくなります。
投稿者:megaclinic
私の母
私の母は高柳みれいという名前です。京福電鉄の社長や会長をしていた祖父が画家のミレーの絵が好きで、この人の名前から取ったそうです。ピアノがかなり上手でほとんどプロのような人でした。でも料理は悲惨で、母の料理でおいしいなあと思った記憶があまりありません。たとえば味噌汁が辛くて文句を言うと、水をもってきて飲んどき…みたいな人で、腹に入ったらみないっしょというのが口癖でした。
小学校の時に母の作ったお弁当をあけると不思議なことがあって、私の卵巻きだけが黒いのです。他の友達の卵巻きはみんな黄色いのですが、なぜなんだろうといつも変だと思っていました。ずっと後になって、母の作ったものはお砂糖がすごく入っていたためということを知ったわけです。おかげで世界のどこに行ってもまずいなあと思う食事でも平気で食べられるようになったのはある意味ありがたいことでした。
母がピアノ以外で得意だったのは刺繍です。いろいろの作品を作っていて、きれいなものが多かったのでよく覚えています。いくつも家に残っていて時々懐かしく思って眺めています。ついでに彼女が残してくれたもので、迷惑しているものは清水焼です。これは京都で母が習っていて、いくつもお茶碗や湯呑などを作ってくるのですが、中に30分以内でお茶を飲んでしまわないと、お茶が漏れてくるというものもあって、そんなお茶碗ってないですよね。まあ、いろんなものを残してくれた方です。
母の作品(クロスステッチ刺繍)
投稿者:megaclinic
両親、祖父祖母
私の両親はどちらももう亡くなっていますが、時々両親のことや祖父や祖母のことを思い出します。本当にたくさんの思い出があります。私の父も父方の祖父も医師でした。どちらも京都大学医学部の卒業で、私で3人続けて同じ大学の医学部の卒業というわけです。父は小児科医で祖父は内科医でした。曾祖父は私は全く知らないのですが、富山で百姓をしていたそうです。富山の上千俵という所は、同じ町内に高柳という方がたくさんおられて、どうも高柳の発祥地のような気がします。
父方の祖父はとにかく勉強家で、私が小さい頃富山に行くと、必ず毎日何度も机の前に座らされて、算数などの問題を解いてみろと言われたり、勉強ばかり必死でやらせるという祖父でした。とにかく一緒に遊んだという記憶が全くありません。祖母は勉強ばかりさせられている私を見て、なだめるばかりで祖父には従順な人であったようです。そういう理由で私は小さい頃富山に行くのはいやでいやでたまりませんでした。楽しいことが全然なかったからです。
一方母方は全く雰囲気の異なる祖父と祖母でした。祖父は京福電鉄の社長や会長をした人で、特に私が小学生の頃は福井の支社長だったので、福井県の三国サンセットビーチの丘の上一帯が自宅で、毎年夏はずっとここで暮らしていました。目の前に海の水平線が見える丘の上に家があり、目の前は芝生の広い庭で、両端に松林があり、一方の松林の中を歩いていくと庭の中に川が流れていて、この川を越えるとやっととなりの家があるというような広大な家でした。祖母も面白い人で、午前中に夏休みの宿題などをしていると、勉強などしてないで、海で泳いで来なさい!というような人でした。そういうことで福井の祖父と祖母の家に行くのは楽しくて仕方がありませんでした。福井の祖父の家系はもともと加賀藩の家老までたどることができ、祖父の父は北前船のオーナーの一人であったそうです。石川県の橋立に西出家の跡地というところがあります。ここが北前船のオーナーをしていた頃に曾祖父が住んでいた家のあったところだそうです。ホタルがたくさん見えるところとして地元では有名な場所だそうです。
時々両親のことや祖父や祖母のことが思い出されるのですが、みんな心の中で今も生き続けていますよね。
投稿者:megaclinic
随想
克誠堂出版社の医学誌「形成外科」の12月号に、院長の随想(MEMOIR)が掲載されました。以下が本文です。
集団がカラフルであるということについて
私が医師になって初めての研修は、京大病院の形成外科でした。私が所属してからしばらくして、医局の中に脳外科出身の医師や内科出身の医師が入ってくるようになり、ある意味とてもカラフルな医局になった時期があります。
このころ症例検討会などでは、時に脳外科の立場からの意見をいろいろ聞けたり、内科的な問題がある患者さんの治療方針を検討する際に、内科出身の医師の意見を聞いてみて「なるほどなあ」と感心したり、多くのことを経験しました。
これらの異色の医師達はいつも一緒に病棟にいるので、わからないことを気軽に聞くこともできていたわけです。このころふと思っていたことは、当時の京大形成外科の医局というチームはかなりの実力があって、安全で効果的な治療を考えると、このように多様な色彩をもった医師のいるチームは最強だなぁということでした。
その後、私自身は国際美容外科学会(ISAPS)の理事会で活動をすることになり、12年間仕事をしていました。また、そのうちの2年間は会長も務めたわけですが、この理事会での活動でも京大時代と同じようなことを考えていたことがあります。
この理事会のとてもユニークな活動の一つにStrategic Planning Meeting というものがありました。これは2年に1回くらいのペースで、世界のどこかで朝から夕方まで丸1日かけて開催されるミーティングです。ISAPSの未来を考えるためのミーティングで、ISAPSをさらに発展させるためには何が必要で何が不要か、新しいアイデアは何か、会員は何を求めているか、理事会は何をするべきか、というようなことをディスカッションしていました。
この会議は、会長を含む理事の半数程度と、理事会以外からの参加者7-8人で行われていました。美容外科の事情が分かっている人なら誰を参加させてもいいというもので、理事の推薦者や参加希望の方、さらに美容外科関連の企業の方、広告会社の方など、もう誰でもいいわけです。こういう人達が集まって開催される会議は本当にカラフルで、思ってもいない意見があれこれ出てくるので本当に面白いミーティングでした。この会議では常にOutside the Box と言われており、「時代も世界も流れて変化が続き、その形も変わり続けているのだから、国際学会のような大きい組織も常に変化を続けなければ、いずれ消滅する」という考えが根本にあります。私以前の会長や理事の方々が打ち出したこういう柔軟な考え方は斬新でありながらも、いまだに通用している立派な概念であり、本当に感動します。
一つのチームは、違った考えをもっている人や、技術、知識、経験などの色彩が異なる人々で構成されている方が強いと私は常々思っています。これらの人たちが自由に発言したり、活動することを許容するという寛容力が、チームを前進させるためにとても大切なものではないでしょうか。
投稿者:megaclinic
ニードルサクションについて…患者様からのメール
ニードルサクションは私が開発してきた治療です。当初は新しい試みなので、試行錯誤があり、すこしずつ改良を重ねて現在の方法に至っています。かなりいい成績を出せるようになったと思っていますが、細かい点でさらに研究中のテーマがあります。ただ、成長因子でできたしこりや膨れ過ぎた脂肪、あるいは脂肪注入で膨れ過ぎた部位をキズあとなしに治療できる確実な方法が今までなかったわけなので、それが可能になったという点ではいい方法が開発できたと思っています。私のある患者さんから以下のうれしいメールをいただきました。
高柳先生、この御礼は、ブログなどに引用いただいて構い
ません。先日、ニードルサクションをしていただいた者です。術中は、丁寧に均質にアプローチいただき本当にありがとうござい ました。まだ腫れ等は、ある段階ですが、自分の肌が正常に近い状態に戻っ たことを感じており、大変に満足しています。絶対に治ることはないと思っていましたので、このような減量方法 を、編み出してくださった先生の試行錯誤、難しい修正治療を引き 受けてくださったこと、丁寧に均質にアプローチいただいた施術内 容に、本当に感謝しております。このような素晴らしい技術は、もっと広まるべきと感じましたので 、勝手ながら、口コミサイトにも、以下のような点をレビューとし て書き込みました。
ーーーーー
ニードルサクションについて、受ける前に自分自身が感じていた疑問に対して、実際に受けてみて感じたこと
疑問1●減量されるのか
→されます。術後、取り出した細胞を見せていただきました。だいたい思っていた量でした。
疑問2●複雑な形状への対応可能なのか
→事前に、かなり複雑なマーキングをしていきました。 術後の内出血の形が、ぴったり、そのマーキングと一致していました。 ニードルサクションは、ほとんどどんな形にも対応できるのではな いか、と思います。
疑問3●減量は平坦になされるか
→平坦でした。多方向からアプローチし吸引してくださったためだと思います。
疑問4●術中の痛み
→静脈麻酔なのでありませんでした。
疑問5●症例写真について
→クリニックの症例写真と同じか、(複雑な形状に対応いただいたという意味では)それ以上のクオリティで処理いただいたと感じま した。取り急ぎ、深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
投稿者:megaclinic
数学は難解です
数学の話で思い出したことがあります。それは京都大学の1年と2年の時の話です。大学に入って最初の2年間は医学部であっても、医学とはあまり関係のない授業もたくさんありました。体育、英語、ドイツ語、数学、日本国史、などなど、高校の続きのような感じのものも多かったわけです。その中で数学の先生の言葉が今も時々頭に浮かんでくることがあります。当時私たちのクラスを担当されていた数学の先生は、もう京都大学では有名な美人の先生でした。そもそも当時京大構内には女性が少なかった時代で、その中で講師であってもファッション雑誌から飛び出てきたような美人ということになると、授業はかなり難しく、わかりにくい内容なのに、なぜかたくさんの男子学生が出席して講義を聞いているという不思議なクラスでした。その女性の先生がいつかだったかの授業で、この方程式の意味って分かる?多分みんなわからないよねえ、、、。もうじれったいから言っちゃうけど、要するに空間はねじれているのよ。ねじれ。みんなわからないよねえ、、、、とこういう感じの授業だったわけです。今だに空間はねじれているの!という言葉だけが時々頭に浮かんできて、今でもわかりませーんと心の中で回答しています。数学って高度になると宗教なんだか心理学なんだか、わけがわからなくなりますよ、ほんとに。
投稿者:megaclinic
インドと数学と形成外科
先日中学時代の同級生と話すことがあり、ふと数学部というクラブにいたことを思い出しました。中学は同志社中学に行っていましたが、この中学はいくつクラブに入っていても自由にやりなさいというような学校でした。一番頑張っていたのはバスケット部だったのですが、それ以外に週に1回だけ数学部の活動にも参加していました。数学の難問に挑戦とか、ゼロの発見という本をみんなで読んだりしていたのを覚えています。その時に読んだ本のタイトルのとおり、数学ではゼロという概念を発見したというのは実にすごいことだったわけです。この概念が出てきたところがインドだったわけです。実は形成外科の発祥地もインドです。当時インドでは犯罪を犯した人は鼻を切断されるという罰があったそうで、この鼻の再建が始まったのがインドです。形成外科医も数学者もすごい人がインドにいたわけですよね。たしか、数学者の藤原正彦という方が国家の品格だったか何かの本で書いていたことなのですが、彼の知っている国際的にすごく有名な数学者の何人かはインド出身で、とても面白い傾向があるというのです。それは彼が知っているすべてのインド出身の優秀な数学者はみんな出身地がインドのとても美しい場所だというのです。こういう風光明媚なところで生まれて育つというのは数学の頭脳の発達のために大切な要因なのでしょうか?ちょっと不思議な気がします。形成外科もどんな人が鼻の再建を始めたのでしょう?この医師はインドのどんなところで生まれて育ったのか、だれか知りませんかねえ?
投稿者:megaclinic
一番多くのホタルを見た場所
死体解剖のことを書いていて、思い出したことがあります。ホタルです。私が医師になって初めて、死体解剖をしたのは、アメリカのノーフォークにあるイースタンヴァージニア大学形成外科の講習会に参加した時でした。当時筋肉を使った各種の再建手術が始まったころで、形成外科ではそれまでは筋肉はアンタッチャブル、つまり損傷を与えてはいけない組織として教えられていました。ところがアメリカのこの大学の形成外科のマックロー教授がいろいろの筋肉を使用した手術を次々に開発したわけです。顔面神経麻痺の再建や先天性大胸筋欠損による乳房欠損などの再建にも広背筋と脂肪を移植して大胸筋があるようなバストの再建などが始まっていたわけです。こういう新しい手術を勉強したくて、この大学の形成外科の主催する死体解剖コースに参加したことがあります。1週間の講義で、1日はノーフォークのビーチにあるホテルで講義、翌日は大学の解剖学教室に行って、前日に講義で習った手術を何人かの講師が指導する中で実際に死体で練習するという講義です。これを繰り返して1週間勉強するというとても有意義な講習会でした。とても面白い講義で、内容も毎年変更されるので、2年後くらいに再度この講習会に参加したことがあります。その後私自身もいくつか新しい手術を開発して、これを世界の一流医学誌に論文としていくつかの発表をしています。
その後この大学の形成外科のマックロー教授から私の論文も知っていて、手術内容もとても有意義な手術なので、次回のこの講習会に日本から今度は講師として来てくれないか?という招待をもらいました。お世話なった教授なので、喜んで講演も死体を使った指導もさせてもらいますと返事をしました。それでまた1週間ノーフォークのこの大学に行ったわけですが、その時は日本から講師としてよく来てくれた、と教授の家に招いてもらって、夕食にバーベキューを一緒に楽しもうということになりました。招待を受けた時に教授の家のプールで一緒に泳げるように準備をして来るようにということだったので水着をもっていきました。教授と教室の若い医師2名と一緒に教授の家のプールの中でバスケットの試合をしたり、あれこれ楽しんでいるうちに日が落ちて、暗くなっていたのですが、まわりに今までに見たことないくらい多数の小さい光が動くのが見えたのです。これがホタルと気づくまですこし時間がかかりました。そんなにたくさんのホタルを見たことがなかったので、この景色には本当に圧倒されました。またこのあり得ない数のホタルを見たいように思うのですが、ノーフォークというところは海軍の基地があって、あまり観光で行くところでもないので、それ以来ここには一度も行っていません。でも今でも時々あの圧倒的な景色を思い出すことがあります。ノーフォークのビーチにある教授の家は本当に素晴らしい所でした。一緒に食べたバーベキューもとてもおいしかったです。あの時一緒にいた医師たちは今はどうしているのでしょう?
マックロー教授のご自宅のプールで
投稿者:megaclinic
死体を使った手術の研修
日本では長い間大学の解剖学教室での死体解剖はほとんど学生の授業用のものでした。そもそも献体というものが日本では非常に少なく、医師になってからなんらかの研究、あるいは研修などで使用できる献体が日本にはほとんどありませんでした。私自身は、新しい手術方法を過去に3種類開発しているのですが、そういう新しい手術が実際にできるのかどうかという確認を死体を使用して行ったことがあります。この時京都大学の解剖学教室の当時の教授である星野教授に直接頼み込んで死体を使わせてもらったことがあります。この時も一人のご遺体を整形外科の医師と私と眼科の医師の3人が取り合いのようなことになっていて、整形外科の医師は常に研究中なので、絶対に死体の向きを変えてはいけないなど、とてもうるさいことを言われていました。これくらい研究用のご遺体が日本では不足していたわけです。これはおそらく今でもあまり変わらない状況なのだろうと思います。
私自身は大学を卒業してからは何回も死体を使った手術の練習、あるいは研究をすべてアメリカ国内のどこかの大学で経験しています。その後国際美容外科学会の手術を指導する教育委員会の委員やチェアを担当してからも常に死体をつかった手術の指導は外国で経験してきています。若い医師にとっては新しい手術手技を覚えるのに、死体で練習ができるというのは本当にありがたいことなのです。アメリカではジョンズホプキンス大学の形成外科の客員教授もしていますので、時々この大学で医学生や形成外科の若い医師に講義を行っています。ジョンズホプキンス大学でよく経験することは、午前中に私が講義をすると、ランチの時に何人か必ず質問に来る医師や学生がいて、かれらはすぐに午後か夕方に空いている時間があれば解剖教室に行って、講義をした手術を実際にやって教えてくれというようなことがあるわけです。これくらいアメリカでは自由に死体が使えるようになっていて、アメリカではとても献体数が多いという状況になっています。
先日日本形成外科学会と日本美容外科学会(JSAPS)からやっと日本の学会でも死体をつかった講義が始まるというアナウンスがありました。日本の3つくらいの大学の解剖学講座が協力してくれるようです。これは本当にありがたいことで、日本もやっとアメリカや国際美容外科学会などのように死体をつかった講習会などが始まるのだなあと思っています。若い医師にとっては死体で手術の練習ができるということは本当にありがたいことなのです。やりすぎるとこんなところに腸が出てくるとか、肺の損傷はこういう所までメスを入れるとありうるのだなあと実感できることはいい経験になり、合併症を防ぐということではこんな勉強になることはありません。また自分の知らない手術手技を覚えるのにもとてもいいトレーニングになるわけです。日本形成外科学会と日本美容外科学会(JSAPS)は本当に理事の方々や関連した委員会の方々がよく努力してもらったと思います。やっとアメリカやヨーロッパの先進国に遅れをとっていた分野がすこし前進を始めたとすこし安心しているところです。
投稿者:megaclinic