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山崎豊子ー大地の子
ずっと以前に大地の子というドラマがNHKでありましたね。素晴らしいドラマで上川隆也さんがこのドラマでデビューされたように記憶しているのですが、、。満州で残留孤児になった主人公が中国で彼を育ててくれた養父母がいい人たちで、その後平和になってから無事だった実の父に会うのですが、中国の養父母と実の父の間で揺れながら日中合同の製鉄事業を完成させるという物語です。中国では悲惨な目に何度もあって主人公は育っていくのですが、たびたび泣いてしまうような素晴らしい名作でした。その後どうしても原作を読みたくなり、山崎豊子の本を読んでしまいました。彼女は本当にじっくり取材をされて、実際の戦争孤児の取材からこの本を書かれたそうです。彼女の本はこの他にも二つの祖国、白い巨塔、沈まぬ太陽などを読んだことがありますが、どれも本当に力強い文章ですよね。本を通して私たちに訴えてくる力がものすごい方だと思います。
最近テレビで上川隆也さんを見たことがあって、大地の子を思い出してまたこの本を読みたくなり読んでしまいました。何度読んでも戦争は残酷で、戦争孤児になった人の運命って、本当に辛いものがあります。この本を読んでいつも思い出すのは私の友人の北海道にいる大先輩の医師のことです。彼は形成外科学会でもたくさんいい発表をされいて、論文もたくさん出されていて、かなり同じ分野の発表が多かったので、とても仲がいいのです。とても優秀な医師で私もいっしょによく学会などで食事をしたりしていました。彼は実は生まれてすぐの頃に満州から戦争でロシア軍に追われて家族といっしょに逃げて日本に戻った方です。途中でご兄弟お二人が亡くなられたそうです。彼自身も家族が彼を捨てて逃げた可能性もあったかもしれないということを聞いたことがあります。それくらい満州から逃げる時は過酷な状況があったようです。よく日本に無事にもどられたと思います。
どうして人間は戦争をするのでしょうね。今も世界で子どもが両親をなくしたり、家族がいなくなったり、、、。ジョン・レノンのイマジン。みんなで歌いませんか?
投稿者:megaclinic
当院でのアートメイク
当院では眉、リップ、アイラインのアートメイクはよく行われていて、アートメイクという方法についても希望される方が多いのだなあと少し驚いています。当院の川越さんというナースがいつも担当していますが、彼女のきれいな結果を見るとなんとなく男性である私も最近はよく理解できるようになってきました。長い間当院ではアートメイクはしていなかったのですが、彼女はアートメイクの技術としてかなり高いものを持った人なので、安心して任せています。なんとなく歌って踊れるという感じの朗らかな人ですが、いつもきれいな仕事をされています。
私自身は乳がんの乳房再建で再建した乳輪と乳頭の色素注入はよく行いますが、これも色調を予定どおりに仕上げるというのはかなり難しいことで、いつもこの点が苦労しているところです。乳がんの再建の場合は反対側の健康な乳頭乳輪の色に合わせる必要があるからです。この色調の調整についても彼女はいろいろテクニックを持っている人なので、私も彼女から時々いいアイデアをもらったりしています。一緒に仕事をしていてとても楽しい人です。
投稿者:megaclinic
東洋美容外科学会(OSAPS)事務総長からの電話
昨日東洋美容外科学会(OSAPS)のSecretary-General(事務総長)であるフィリピンのフロレンシオルセロから私に電話がかかってきました。またベトナム美容外科学会(VSAPS)の前会長であるレハーンからも本日私にメールが届きました。お二人からの話は同じ内容で、今年の4月にベトナムのハノイでベトナム美容外科学会が東洋美容外科学会と併設開催になるそうで、この学会に来て、講演とライブサージャリーを担当してくれないかというものでした。
特にフィリピンのルセロからの電話では4月は日本形成外科学会と日程が近いので、私自身は日本形成外科学会にも参加するつもりなので、私を含めて日本の先生方はかなり引き受けてくれないのではないかと伝えました。それでも、なんとか、私だけでもぜひ、ぜひ、、、。みたいな調子でした。かなり以前からの仲良しの先生なので、最後は押し切られて、ベトナムに行くことにしました。押しにはすごく私って弱いんですかねえ。
ベトナムでは過去にも国際美容外科学会(ISAPS)の講習会がホーチミンでベトナム美容外科学会と同時開催されたことがあり、この時にもいくつかの講演とライブサージャリーを担当したことがあります。この時の記憶として、私自身は二人の患者さんの手術をして、手術室と学会会場をつないで、学会会場からたくさんの質問に答えながら、手術を進行させるという方法をとるわけです。ただ、この時の二つの手術ともあまり大きい声では言いたくないのですが、手術の介助でついてくれた看護師さんが二人ともなぜか英語の理解力に少し問題があったことと実際に手術室のナースとしてのレベルの問題があり、二つの手術のどちらもすごく手間取って大変な思いをしたことがあります。たとえば眼瞼の手術の止血の装置としてこんな大きいものはまぶたにはダメでしょうとか、出血をしている時に創部をガーゼでこすって血液をふくとさらに出血するのですが、こういう技術レベルの問題などがあり、本当に大変な思いをしました。こういう思い出があるので、ライブサージャリーは日本から自分のクリニックの私の手術に慣れた看護師さんが参加できることと、いくつかの自分の手術器具を持参できないとライブサージャリーはやらないと回答しておきました。やんわりとライブサージャリーについては今回はやりたくないと断ったつもりですが、どうなるでしょうね?
さらに私に日本や他のアジアの国々からファカルティー(講師)として講演やライブサージャリーを担当できそうな医師を推薦してもらえないかということでした。これも何人も頭に浮かびますので、それぞれの先生方に日程と講師になることを了承してもらえるかという連絡を送っています。今だにあちこちの国から声をかけてもらえるのはありがたいことなのですが、自分のクリニックである程度私の患者さんの一部の方々には迷惑をおかけすることになりますので、その点については申し訳ないことと思っています。すみません。ご理解ください。
写真は順番にベトナムのレハーン先生、次の写真の一番左がフィリピンのフロレンシオルセロ先生です(以前ベトナムでISAPSのライブサージャリーを担当した時の写真です。他のナース二人と医師はベトナムの方々で私とルセロ先生の手術の介助に入ってくれました)。
どうでもいいことですが、ベトナムの学会で好きなこと。ここではビールでの乾杯が多いように思いますが、乾杯の際は全員で大きな声で、「ワン、トゥー、スリー、ヨー!」と叫んで乾杯をします。それから宴会が始まるわけです。これですね、私はかなり好きなんです。京大のテニス部でもたまに、ハイ今日はベトナム式でヨーっ!ってやっています。
投稿者:megaclinic
イチローさんが野球殿堂入りという話
野球の話です。本来私自身は熱烈な阪神タイガーズのファンです。阪神が優勝した時は本当に道頓堀に飛び込むかもしれないなあと自分で思ったりしているくらいです。ただ、昼間にあの汚い川を見て知っていますので、冷静に考えると飛び込んだらだめですよね。あとはとてもひどいことになりそうですから。野球のファンならイチローさんは皆さんご存知ですよね。最近彼は日本とアメリカの両方で野球の殿堂入りを果たしました。すごいことです、本当に。彼の話はいつもとても心に残ることが多くて、いつも真剣に彼の話は聞くことにしています。日本のプロ野球で7年連続で首位打者ですもんね。アメリカに行っていきなりMVPと新人王の同時受賞など本当に立派です。
彼の話はいくつも覚えていることがありますが、特に小学生の頃に家の近くでよくバットの素振りをしたり、キャッチボールをされていたそうですが、通りすがりの人や近所の人達から、勉強もしないで野球のプロにでもなるつもりか?などなど、彼はよくバカにされていたそうです。その時のそういう言葉に反発する気持ちがその後も自分のエネルギーになったと話されていたことがあります。日本からアメリカの野球にピッチャーではないプレーヤーとして最初にアメリカに行った人です。その時も多くの日本人からアメリカのプロ野球はレベルが違うので成功するはずがないとか、日本にいればいいのに、など散々いやなことを言われたという話もされていたことがあります。これも彼が小さい頃と同じで、そういう言葉に反発する気持ちがエネルギーになったのだそうです。
殿堂入りの時に話されていた言葉の中で、才能があってもそれを伸ばす才能はまた別にあるという言葉がとても心に残っています。彼の場合は反発する気持ちが才能を伸ばす才能を育てたということでしょうか?どんな世界でもなにかに打ち込んで大成功をおさめた人の言葉ってどっしり重いものがありますよね。彼がまた将来どんな言葉を話すのか、これもとても楽しみなことです。
投稿者:megaclinic
どのように指導するべきか、すごく悩んだテニス部の後輩
もうずっと以前に京都大学を卒業されているのですが、長年たくさんのテニス部員を指導していると、中には頭の中はどういう構造?って思ってしまうような人もいるわけです。現在も部員は男女合わせて60名くらいが部に所属しています。多い時は70名くらいの部員がいた頃もあります。このように多数の人間がいると、中にはすごく変わった部員もおられるわけです。もちろん天下の京都大学医学部に合格して入ってきた人なので、試験をすればすごくいい成績を取ることができるということはわかっています。天才となんとかは紙一重って言いますが、本当にそうかもって思うような人もおられるわけですね。
一番最初に???と思ったのは、彼が大学に入って初めてテニスを始めたそうなので、ボールを軽く投げてあげて、ネットの向こうに入れてごらんという指導をしてみた時でした。ところが、すべてのボールがとなりのコートに入ってしまうのです。かなりボールを飛ばす角度がおかしなことになっているのです。ちゃんとネットの向こうに向かって打ってる?と聞くと、そうです。ネットのあちら側をちゃんと狙っていますと言うのです。それでとなりのコートにボールが入ってしまうので、それなら(私もまさかと思いましたが)、反対側のコートを狙って打ってみたら?と提案すると、彼はそれを実行したのです。隣のコートを狙ってボールを打つと、自分のいるコートにボールが飛んで行くという不思議な光景を見てしまいました。オーマイゴッド!ですよね。こんな部員は初めてだなあとびっくりでした。
その次に驚いたのが、練習中に彼の体にテニスのボールが当たってしまった時です。ソフトテニスなので、やわらかいボールです。当たったところで大したことはありません。でも彼はテニスコートでバタッと倒れて起きないのです。倒れるというのも不思議な光景でしたが、まわりの部員は見慣れているようで、1-2分したら起きますから、、だそうです。私も医師なので、てんかんの発作でもあるのかなあと心配しましたが、そんな病気はなく、ただ急に眠くなったように倒れるだけなのだそうです。オーマイゴッド!
その次に驚いたのは、ラケットの振り方が力が入りすぎていたので、もっと力を抜いて、軽く、軽く、、、と言うと急に彼は目を閉じて、だまってしまったのです。ずっとそのままの状態が何分も続いたので、目を閉じて何をしているのかな?とそっとそっと聞いてみました。彼の回答は、今までコーチや先輩達に教えてもらったことを最初から全部思い出しています。もうすこし待ってください、、でした。オーマイゴッド!もう理解できません。不思議な人ですよね。それで言われるままにずっと待ってみました。やっと目を開けて、今、すべて思い出しました。それではアドバイスをどうぞ、、、って言われてもなあ。待ちくたびれて何を指導するんだったか、忘れてしまいました。降参。
とてもおもしろい彼の考え方は、本来右利きで、右手にラケットを持ってテニスをしていたのですが、サーブを打つ時はなんとなく狙った方向にボールが飛んで行きましたが、打ち合いになると、右ではほとんどネットにボールがかかってしまって、、という悩みがあったようです。途中から彼はサーブは右手で打って、普通にボールを打つ時は左でやり出したのです。右手でミスが多いのなら、通常は右手でもっともっと練習をしますよね。これが普通です。でも彼は右よりも左で打ったほうがいいのではないかと思ってそういう練習を始めたのです。ある意味すごいですよね。それで何年かすると彼は試合の時、右手でサーブをして、それ以後のラリーは左手にラケットを持ち変えるという不思議なテニスをするようになっていました。公式戦では相手ペアは皆さんそんな選手を見たことがないので、対戦相手の方々は試合の途中でえ???、はあ???みたいなことになっていました。でもやはり右でも左でもミスが多い人だったのでなかなか試合には勝てませんでした。
でもこういう頭の持ち主って学問の世界では大切な人材なのかもしれません。普通の人なら思いつかないことを思いつくというのはある意味才能です。私はこういう人がノーベル賞を取ったりするのかもしれないと信じているようなところがあります。幸い彼は研究の世界に入ったそうなので、私のクラブからもノーベル賞の受賞者が出るかもしれないという楽しみがあるわけです。京大医学部ソフトテニス部の卒業生の中にはすでに毎年ノーベル賞候補に名前の出ている後輩もいます。テニスの指導で苦労した彼もそのうち候補者の中に入るような気がしています。医学部の硬式テニス部の卒業生にはノーベル賞を受賞された本庶教授がおられます(どうでもいいことですが、本庶教授の京大でのニックネームはダースベーダーです。人柄が何となくそんな感じ、、ここだけの話です)。医学部ソフトテニス部はまだ誰もノーベル賞受賞者は出ていないわけですが、そのうちきっとうちのクラブからもノーベル賞の受賞者が出ると期待しているわけです。楽しみでワクワクしませんか。
投稿者:megaclinic
私のメンター達、京都大学形成外科一色教授
京都大学に形成外科講座ができた時の初代教授が一色先生です。もともと耳鼻科におられた先生で、専門は声帯と唇裂口蓋裂です。特に声帯の手術では世界的に有名な教授で、韓国出身の有名なオペラ歌手が甲状腺の手術の結果声が出なくなり、この声帯の再建手術を一色先生が担当されました。オペラ歌手としての声を取り戻す手術を担当された話はNHKでも放送された有名な話です。このオペラ歌手は現在はヨーロッパで舞台に復帰されて活躍されています。
一色先生は私が京都大学形成外科で勤務していた時の教授ですが、実際のところほとんどの手術指導は当時大学の講師であった冨士森先生が担当されていたので、一色教授には手術の指導はほとんど受けていません。でも私にとってはメンターの一人です。私にとっていい指導者であったのは、とにかく日本国内でも外国でも、私が手術の見学に行きたいというと、毎回ぜひ行ってきなさいと絶対に許可してくれたことです。そういう意味で彼は間違いなく、私のよき指導者でした。
ただとても頑固な性格で、そのことだけはある意味すごい方でしたが、、。私が小倉記念病院に赴任したのは彼の指示によるものです。当時私は大阪赤十字病院の形成外科に勤務していました。スタッフは4人の医師でした。部長、副部長、そして私の2年上の先輩と一番下の私でした。ただ、その頃に大阪日赤で乳がんの乳房再建ができる医師は私一人でしたし、マイクロサージャリーと言われる組織移植ができる医師も私一人でした。私より上の医師は部長を含めて、誰もこの手術ができなかったのです。そういう理由で私が一番下のランクの医師でしたが、担当していた患者さんの数は私がダントツに多かったわけです。
学会での発表や論文数でも大阪日赤の先輩医師たちより私の方がずっと多かったので、一色先生がそこに目をつけたように思います。ある日京大の一色教授から私に電話がかかってきました。九州の小倉記念病院に新しく形成外科を開設することになったので、2ヶ月後に新しくできる形成外科の初代主任部長として小倉に行ってほしいというものでした。当時大阪日赤で私が担当していた患者さんの数がとても多かったので、せっかく盛り上がっているので、九州には行きたくありませんとその時は返事をしました。私が担当している多くの患者さんたちはどうなるのですか?ということも伝えました。でも数日してからまた一色先生から電話があって、九州に行く決心はついたかね?と言われるのです。その時に再度いやですと私は回答しました。そうすると一色先生は一度京大に来なさいと言うのです。
その後いやいや京大に行って、一色先生と話をしました。どうしても九州には行きたくありませんと私もしつこく言いました。でもその時、一色先生はブチっとどこかが切れたような感じで、君が九州に行きたくないのはよくわかった。それでいつ行くのかね?、、、こんな会話ってあります、普通?その時は、教授ではなく、あーこのおっさんは頑固でもうダメだーって、目の前真っ暗、絶望のどん底でした。結果、あきらめて小倉記念病院に赴任になったわけです。今は大学教授にこのような人事を取り仕切る権限はほとんどありません。でも当時は教授の言うことを聞かないと医局を追い出されてしまうというペナルティーがあり、医局を追い出されると、なかなかいい病院には就職ができなかったわけです。このようにあり得ないくらい頑固な先生でしたが、どこの医師の手術を見に行ってもいいという医師としてのレベルアップにはとても積極的な先生でした。そういう意味でこの教授にはとてもお世話になったなあと今も感謝しているわけです。もちろん、このクソがんこオヤジ!と思っている部分もほんの少しは残っているのですけどね。
投稿者:megaclinic
獺祭というお酒
岩国にある旭酒造で作られている獺祭というお酒は私の大好きな日本酒の一つです。いくつもシリーズがあって、私はここの磨き2割3分というのが最高峰だと思っています。この会社の使っているお米は山田錦というお米で、その磨きの程度で3割9分とか2割3分などのランクがあるわけです。好みもあるのでしょうが、私は3割9分の獺祭は少し甘味というかまろやかさが不足していて、2割3分だと口当たりも奥深さもちょうどいい感じに思えるのです。
この獺祭のシリーズはもっと種類があって、磨きの程度をさらに上げたシリーズとして(磨きその先へ)という2割3分よりもずっと高価格のお酒があります。さらに最近ニューヨーク郊外でも獺祭がお酒を作り始めたのだそうです。このアメリカ生まれのお酒はダッサイブルーという名称になっています。私はこのどちらも飲んだことがあるのですが、磨きその先へというシリーズはお米を磨く程度が2割3分よりまだ上のランクになるわけですが、ここまでお米を磨いてしまうと、もうお酒を通り越して、少し甘味が強くなりすぎているように思います。もちろんこれはとても個人的な意見ですが、、、。はっきり言って高価格であっても私はあまり好きではありません。ニューヨーク生まれのダッサイブルーについても、2割3分ほどのあの心地よい余韻が残らないという印象があります。まだまだ物足りないわけです。
ついでですが、獺祭にスパークリングってありますよね。これはたしか4割5分なのですよね。でもこれって私はかなり好きなんです。初めてこのスパークリングを飲んだのはかなり以前に東京ディスニーシーでした。スパークリングだと4割5分でもとても美味しいって思ってしまいます。不思議ですね。特にどういうわけか、獺祭スパークリングはディズニーシーで、そばにミッキーマウスなんかがいる所ではすごく美味しいお酒に思えます。ミッキーのせいなんでしょうかねえ?
でもまあ、とにかく、要するに獺祭は2割3分がベストです。絶対!ごちゃごちゃ言ってはいけません。黙って飲むべし!
投稿者:megaclinic
私のメンター達、デューク大学ジョージエイド教授
私が京都大学病院に勤務していた頃、アメリカで乳がんの乳房再建が始まりました。インプラントを使用する方法や背中やお腹の皮膚と脂肪を利用するような方法などです。この手術の当時世界のトップだった大学がアメリカのデューク大学でした。同時にバストの豊胸手術や下垂修正、大きすぎるバストの縮小手術などの美容外科分野の手術も世界的に有名な大学でした。この大学のジョージエイド教授が世界のトップとして多くの論文も出され、教科書もいくつか執筆されています。
当時この教授の論文をたくさん読んで、直接この教授の手術を見て勉強したいと思い、教授に連絡をして見学を許可してもらいました。最初に見学に行った時は多分1週間程度の滞在だったと思いますが、日本に戻ってきて京都大学の解剖学教室で屍体を使わせてもらって、この手術の練習をさせてもらいました。でも、やってみるとわからないことがあれこれ出てきて、その後も2回デューク大学に行って、再度勉強をさせてもらいました。さすがに3回も行ってあれこれ勉強をしているとやっと自分でもできるようになり、その後私自身は大阪日赤や九州の小倉記念病院などで多くの乳房の手術をするようになりました。小倉記念病院では形成外科の主任部長として手術をしていましたが、当時乳がんの乳房再建では小倉記念病院が日本一の症例数になっていました。現在は東京の癌研有明病院が日本一の症例数になっていますが、、、。
私はデューク大学のジョージエイド教授には乳房再建では脂肪注入以外のほぼすべての乳房の再建方法を習いました。美容外科領域の手術もとても多かったので、バストをいろいろの方法できれいにするという方法の多くもこの教授から指導してもらいました。とても優しい人で、わざわざ日本から遠くまでよく勉強に来たと大変かわいがってもらいました。この教授の若い頃は医学の世界のトップはドイツでした。彼もいろいろの手術を勉強したくて、度々ドイツのあちこちの病院に手術の見学に行かれたそうです。その頃の自分と私がよく似ていると話をされていて、あれこれ便宜を測ってもらったことはとてもありがたいことでした。3回この大学を訪問したのですが、毎回滞在費も安くすむほうがいいだろうと言われて、3回ともデューク大学の当直室の一つを使用させてもらっていました。これも当時の私にとっては本当にありがたいことでした。デューク大学は本当に美しいキャンパスで森の中にある大学のような素敵なところです。写真はジョージエイド教授、デューク大学のキャンパスと毎回私が滞在していた当直室です。
投稿者:megaclinic
私のメンター達、ジョージ・ワシントン大学レターマン教授
私がメガクリニックを開院する直前まではアメリカのワシントンにあるジョージ・ワシントン大学形成外科に留学をしていましたが、ここで各種の美容外科の手技をたくさん教えてもらったのがここの大学のレターマン教授です。とてもいい先生で、初めてお会いした際はわざわざ、私を空港までご本人が迎えに来てもらいました。こういう教授って他にはどなたもおられません。たびたびご自宅にも招いてもらい、奥様とも一緒に食事をしたり大歓迎を受けました。手術の細かい説明なども丁寧に教えてもらい、本当にありがたいことでした。 日本にも何回か来られて、その際はお世話になったお礼もあるので、京都などでお礼の歓迎会をさせてもらいました。
この教授についてとてもありがたかったことはせっかくアメリカに留学しているので、その間に何人かアメリカの優秀な形成外科医や美容外科医の手術を見ておいたほうがいいと言ってもらえて、それぞれこの分野ならこの医師がいいなど、多くの医師を紹介してもらったことです。お陰で、アメリカのあちこちの大学や個人のクリニックなどで多くの貴重な手術を見て勉強することができ、本当にこの先生の指導者としての姿勢には感動でした。写真は教授のご自宅で、後ろの絵はご長男の方だそうです。
投稿者:megaclinic
私のメンター達、ニューヨーク大学の二人の教授
私が初めて、フェイスリフトの手術を見学して勉強させてもらったのはニューヨーク大学の形成外科でした。当時フェイスリフトの手術をかなり多くアメリカでされていた教授お二人がニューヨーク大学におられました。二人とも世界的にかなり有名な先生方で、お一人はトムリース教授、もうお一人はブレアロジャース教授でした。ニューヨーク大学病院や大学の関連病院であったマンハッタン病院などで2週間ほどお二人の手術をたくさん勉強させていただきました。その後もアメリカ形成外科学会やアメリカ美容外科学会、国際美容外科学会などで何度もお会いする機会があり、お二人の教授にはずっととてもいい指導者として接してもらいました。お二人ともいつも素晴らしい結果を出されていて、初めて美しいフェイスリフトの手術結果を見た時の驚きは今でもはっきり覚えています。
写真は順にトムリース教授、ブレアロジャース教授です。
投稿者:megaclinic