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私のメンター達、京都大学形成外科一色教授
京都大学に形成外科講座ができた時の初代教授が一色先生です。もともと耳鼻科におられた先生で、専門は声帯と唇裂口蓋裂です。特に声帯の手術では世界的に有名な教授で、韓国出身の有名なオペラ歌手が甲状腺の手術の結果声が出なくなり、この声帯の再建手術を一色先生が担当されました。オペラ歌手としての声を取り戻す手術を担当された話はNHKでも放送された有名な話です。このオペラ歌手は現在はヨーロッパで舞台に復帰されて活躍されています。
一色先生は私が京都大学形成外科で勤務していた時の教授ですが、実際のところほとんどの手術指導は当時大学の講師であった冨士森先生が担当されていたので、一色教授には手術の指導はほとんど受けていません。でも私にとってはメンターの一人です。私にとっていい指導者であったのは、とにかく日本国内でも外国でも、私が手術の見学に行きたいというと、毎回ぜひ行ってきなさいと絶対に許可してくれたことです。そういう意味で彼は間違いなく、私のよき指導者でした。
ただとても頑固な性格で、そのことだけはある意味すごい方でしたが、、。私が小倉記念病院に赴任したのは彼の指示によるものです。当時私は大阪赤十字病院の形成外科に勤務していました。スタッフは4人の医師でした。部長、副部長、そして私の2年上の先輩と一番下の私でした。ただ、その頃に大阪日赤で乳がんの乳房再建ができる医師は私一人でしたし、マイクロサージャリーと言われる組織移植ができる医師も私一人でした。私より上の医師は部長を含めて、誰もこの手術ができなかったのです。そういう理由で私が一番下のランクの医師でしたが、担当していた患者さんの数は私がダントツに多かったわけです。
学会での発表や論文数でも大阪日赤の先輩医師たちより私の方がずっと多かったので、一色先生がそこに目をつけたように思います。ある日京大の一色教授から私に電話がかかってきました。九州の小倉記念病院に新しく形成外科を開設することになったので、2ヶ月後に小倉に行ってほしいというものでした。当時大坂日赤で私が担当していた患者さんの数がとても多かったので、せっかく盛り上がっているので、九州には行きたくありませんとその時は返事をしました。でも数日してからまた一色先生から電話があって、九州に行く決心はついたかね?と言われるのです。その時に再度いやですと私は回答しました。そうすると一色先生は一度京大に来なさいと言うのです。
その後いやいや京大に行って、一色先生と話をしました。どうしても九州には行きたくありませんと私もしつこく言いました。でもその時、一色先生はブチっとどこかが切れたような感じで、君が九州に行きたくないのはよくわかった。それでいつ行くのかね?、、、こんな会話ってあります、普通?その時は、教授ではなく、あーこのおっさんは頑固でもうダメだーって、目の前真っ暗、絶望のどん底でした。結果、あきらめて小倉記念病院に赴任になったわけです。今は大学教授にこのような人事を取り仕切る権限はほとんどありません。でも当時は教授の言うことを聞かないと医局を追い出されてしまうというペナルティーがあり、医局を追い出されると、なかなかいい病院には就職ができなかったわけです。こういう頑固な先生でしたが、どこの医師の手術を見に行ってもいいという医師としてのレベルアップにはとても積極的ないい先生でした。そういう意味でこの教授にはとてもお世話になったなあと思っているわけです。
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獺祭というお酒
岩国にある旭酒造で作られている獺祭というお酒は私の大好きな日本酒の一つです。いくつもシリーズがあって、私はここの磨き2割3分というのが最高峰だと思っています。この会社の使っているお米は山田錦というお米で、その磨きの程度で3割9分とか2割3分などのランクがあるわけです。好みもあるのでしょうが、私は3割9分の獺祭は少し甘味というかまろやかさが不足していて、2割3分だと口当たりも奥深さもちょうどいい感じに思えるのです。
この獺祭のシリーズはもっと種類があって、磨きの程度をさらに上げたシリーズとして(磨きその先へ)という2割3分よりもずっと高価格のお酒があります。さらに最近ニューヨーク郊外でも獺祭がお酒を作り始めたのだそうです。このアメリカ生まれのお酒はダッサイブルーという名称になっています。私はこのどちらも飲んだことがあるのですが、磨きその先へというシリーズはお米を磨く程度が2割3分よりまだ上のランクになるわけですが、ここまでお米を磨いてしまうと、もうお酒を通り越して、少し甘味が強くなりすぎているように思います。もちろんこれはとても個人的な意見ですが、、、。はっきり言って高価格であっても私はあまり好きではありません。ニューヨーク生まれのダッサイブルーについても、2割3分ほどのあの心地よい余韻が残らないという印象があります。まだまだ物足りないわけです。
ついでですが、獺祭にスパークリングってありますよね。これはたしか4割5分なのですよね。でもこれって私はかなり好きなんです。初めてこのスパークリングを飲んだのはかなり以前に東京ディスニーシーでした。スパークリングだと4割5分でもとても美味しいって思ってしまいます。不思議ですね。特にどういうわけか、獺祭スパークリングはディズニーシーで、そばにミッキーマウスなんかがいる所ではすごく美味しいお酒に思えます。ミッキーのせいなんでしょうかねえ?
でもまあ、とにかく、要するに獺祭は2割3分がベストです。絶対!ごちゃごちゃ言ってはいけません。黙って飲むべし!
投稿者:megaclinic
私のメンター達、デューク大学ジョージエイド教授
私が京都大学病院に勤務していた頃、アメリカで乳がんの乳房再建が始まりました。インプラントを使用する方法や背中やお腹の皮膚と脂肪を利用するような方法などです。この手術の当時世界のトップだった大学がアメリカのデューク大学でした。同時にバストの豊胸手術や下垂修正、大きすぎるバストの縮小手術などの美容外科分野の手術も世界的に有名な大学でした。この大学のジョージエイド教授が世界のトップとして多くの論文も出され、教科書もいくつか執筆されています。
当時この教授の論文をたくさん読んで、直接この教授の手術を見て勉強したいと思い、教授に連絡をして見学を許可してもらいました。最初に見学に行った時は多分1週間程度の滞在だったと思いますが、日本に戻ってきて京都大学の解剖学教室で屍体を使わせてもらって、この手術の練習をさせてもらいました。でも、やってみるとわからないことがあれこれ出てきて、その後も2回デューク大学に行って、再度勉強をさせてもらいました。さすがに3回も行ってあれこれ勉強をしているとやっと自分でもできるようになり、その後私自身は大阪日赤や九州の小倉記念病院などで多くの乳房の手術をするようになりました。小倉記念病院では形成外科の主任部長として手術をしていましたが、当時乳がんの乳房再建では小倉記念病院が日本一の症例数になっていました。現在は東京の癌研有明病院が日本一の症例数になっていますが、、、。
私はデューク大学のジョージエイド教授には乳房再建では脂肪注入以外のほぼすべての乳房の再建方法を習いました。美容外科領域の手術もとても多かったので、バストをいろいろの方法できれいにするという方法の多くもこの教授から指導してもらいました。とても優しい人で、わざわざ日本から遠くまでよく勉強に来たと大変かわいがってもらいました。この教授の若い頃は医学の世界のトップはドイツでした。彼もいろいろの手術を勉強したくて、度々ドイツのあちこちの病院に手術の見学に行かれたそうです。その頃の自分と私がよく似ていると話をされていて、あれこれ便宜を測ってもらったことはとてもありがたいことでした。3回この大学を訪問したのですが、毎回滞在費も安くすむほうがいいだろうと言われて、3回ともデューク大学の当直室の一つを使用させてもらっていました。これも当時の私にとっては本当にありがたいことでした。デューク大学は本当に美しいキャンパスで森の中にある大学のような素敵なところです。写真はジョージエイド教授、デューク大学のキャンパスと毎回私が滞在していた当直室です。
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私のメンター達、ジョージ・ワシントン大学レターマン教授
私がメガクリニックを開院する直前まではアメリカのワシントンにあるジョージ・ワシントン大学形成外科に留学をしていましたが、ここで各種の美容外科の手技をたくさん教えてもらったのがここの大学のレターマン教授です。とてもいい先生で、初めてお会いした際はわざわざ、私を空港までご本人が迎えに来てもらいました。こういう教授って他にはどなたもおられません。たびたびご自宅にも招いてもらい、奥様とも一緒に食事をしたり大歓迎を受けました。手術の細かい説明なども丁寧に教えてもらい、本当にありがたいことでした。 日本にも何回か来られて、その際はお世話になったお礼もあるので、京都などでお礼の歓迎会をさせてもらいました。
この教授についてとてもありがたかったことはせっかくアメリカに留学しているので、その間に何人かアメリカの優秀な形成外科医や美容外科医の手術を見ておいたほうがいいと言ってもらえて、それぞれこの分野ならこの医師がいいなど、多くの医師を紹介してもらったことです。お陰で、アメリカのあちこちの大学や個人のクリニックなどで多くの貴重な手術を見て勉強することができ、本当にこの先生の指導者としての姿勢には感動でした。写真は教授のご自宅で、後ろの絵はご長男の方だそうです。
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私のメンター達、ニューヨーク大学の二人の教授
私が初めて、フェイスリフトの手術を見学して勉強させてもらったのはニューヨーク大学の形成外科でした。当時フェイスリフトの手術をかなり多くアメリカでされていた教授お二人がニューヨーク大学におられました。二人とも世界的にかなり有名な先生方で、お一人はトムリース教授、もうお一人はブレアロジャース教授でした。ニューヨーク大学病院や大学の関連病院であったマンハッタン病院などで2週間ほどお二人の手術をたくさん勉強させていただきました。その後もアメリカ形成外科学会やアメリカ美容外科学会、国際美容外科学会などで何度もお会いする機会があり、お二人の教授にはずっととてもいい指導者として接してもらいました。お二人ともいつも素晴らしい結果を出されていて、初めて美しいフェイスリフトの手術結果を見た時の驚きは今でもはっきり覚えています。
写真は順にトムリース教授、ブレアロジャース教授です。
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私のメンター達、冨士森良輔先生
昨年末の台湾形成外科学会(TSPS)では3つの講演を依頼されたのですが、いずれも学会側から講演のタイトルを指定されたものでした。こういう指定はとても珍しいことで、ほとんどの場合、大体このようなテーマで講演をお願いしたいが、具体的にはどういうタイトルにしますか?ご指示くださいというようなことで依頼が来ます。今回は本当に異例で、3つの中の一つのタイトルはMentorship and Skill Development in Aesthetic Surgery というものでした。Mentorという言葉はあまり一般には使われない言葉かもしれません。要するに先生というより指導者、よき指導者、あるいは師匠などとも訳すことができるような言葉です。台湾形成外科学会の希望としては私自身が美容外科の指導者としてどのような方法を取ってきたかということを話してほしかったそうです。でも、あらかじめ講演の打ち合わせとして、私自身は本当に多くの良き脂肪者を求め続けた結果、実際に多くのメンター達に恵まれて、自分が育ってきたという感覚があります。少しでも多くのメンターを探す努力も必要ということを講演では話しておきたいと説明をして、講演では私が今まで出会った多くのメンターについて話しました。講演のプレゼンを作ってみると実に多くのメンター達にお世話になったなあと自分でも驚きました。せっかく台湾での講演のために古い写真を探したり、懐かしい写真を引っ張り出したりしましたので、ここで私の出会った多くの素晴らしい私のメンターの先生方を紹介しておきたいと思います。
まず私が最初に形成外科の研修を開始したのは京都大学病院の形成外科でした。この時はまだ形成外科が講座にはなっていなかったので、当時は形成外科の教授は不在でした。形成外科チームのリーダーだったのが冨士森良輔先生です。当時、京大病院では火傷、外傷、皮膚がん、顔の先天奇形、皮膚腫瘍、あざなどの治療がかなり多く、当時日本で一番美しい再建手術を行えるという名声が日本中で評判だったので、外来の診察に出ていて、新しい患者さんが来院されて手術の予約を入れられると、この患者さんの手術は大体3年くらい先に予定が入るという状況でした、もちろんがんや新鮮熱傷などのように緊急性があるものが優先されていましたので、それ以外の緊急性のない病気については大体3年ほど待ってもらってやっと手術の順番が来るという状況でした。
そういう美しい再建手術を多く行われていたのが、この冨士森先生でした。指導はとても厳しいもので、火傷でひきつったケロイドなどの治療については皮膚にどのようにメスを入れてほしいか、皮膚にいつもいつも聞いていれば、いつか正しい答えを皮膚が教えてくれるようになるというような指導でした。手術後の管理なども手術の一部であり、圧迫固定やテーピング、ときには各種の装具やコルセットやスポンジなどの使用も大切でこのような手術後の努力があって、初めて美しい永久的な結果が得られるというような考え方や多くの財産を彼から受け継ぎました。
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インドネシア形成外科学会前会長テディープラテシオノのご家族
インドネシアの前回の形成外科学会の会長をされたテディーは日本が大好きな方なので、時々来日されます。その際に大阪や京都に来られる時は大体いつも一緒に食事をしています。今回は年末から北海道や高山、名古屋などを観光された後に大阪に来られました。あらかじめ連絡をもらっていたので、今回はご一家のご希望もあったので和食のお店を予約して食事を楽しみました。
何度もご家族とはあっていますが、息子さんもお嬢さんもよその子供って、本当に成長が早いですよね。急にまた大きくなられたようで、食事の量が全然足りなかったのではないかなあとあとからとても気になってしまいました。奥様もお医者さんで、彼女は婦人科なのだそうです。テディープラテシオノは形成外科では手の外科医で、そのほかいろいろの美容外科の手術もされています。いつも国際美容外科学会や東洋美容外科学会でインドネシアの代表として大活躍されいてる方なので、アジアではとても頼もしい医師です。
かつて国際美容外科学会ではアジアからの会長としては私を含めて3人の医師が会長になっています。ただ、この3人全員が日本人なのです。私の夢は次のアジアからの会長は日本以外の国の医師になってもらいたいということです。テディーも強力な候補だと私は思うのですが、なぜか投票の結果はアジアの医師への世界からの投票数が集まらないので、落選が続いているという結果になってしまっています。写真は大阪のある和食のお店でのご家族の写真です。
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