院長ブログ
シリア、レバノン
トルコとシリアですごい地震がありました。私自身も神戸大震災を経験していますので、あの時のとんでもない思い出が頭に浮かんでしまいました。地震直後にまわりのビルが倒壊していたり、火の手があちこちに上がっていた記憶が浮かんでしまいました。トルコもシリアもすこしでも多くの人が助かって、早く救援の手が届くといいのですが…。
地震の話を聞いて、シリアのことで思い出したことがあります。7-8年以上も前のことです。私自身が国際美容外科学会の手術指導を担当する教育委員会(Education Council)のチェアを2年間担当していた頃の話です。国際美容外科学会(ISAPS)のコースと呼ばれている講習会は1年に世界中で大体20回くらい開催されています。これを取り仕切るのがこの委員会の仕事です。チェアは特にすべてのプログラムを企画して、世界からそれぞれの講習会に10人から20人くらいの講師を選択して招待状を送って、参加できる講師陣を作る仕事があります。自分ももちろん一部には参加して働くわけです。世界各国からぜひ自分の国で開催してほしいというリクエストが委員長に常に多数届いています。
このころにレバノンから講習会の企画をお願いしたいという希望が届いていました。私自身がレバノンの学会会長や国際美容外科学会のその国担当のレバノン国籍の医師(ナショナルセクレタリーと言われています)と相談して、開催場所、日程などを調整するわけです。レバノンからこのような要請があったので、私自身が大体のプログラムを作って、いよいよ開催日近くになった時に、レバノンで内戦が起きて、レバノンの医師たちからとりあえず講習会を延期してほしいという要請が来ました。メールの返信でところであなたたちは無事なのかと聞くと、山の中に逃げているから安全だというような回答でした。その時私自身はこんな危険な国に誰も派遣したくないし、自分も行きたくないと心の中で思っていました。とりあえず延期になって、その後数か月してから、レバノンの医師からもう安全だから講習会を開催してほしいという依頼が再度届きました。仕方なく、講習会を企画して、なんとか開催したわけです。
会場の前には以前はホリデイインというホテルだったという廃墟のような建物があって、壁には多数の砲弾あとの大きな穴が開いていました。すごいことがあったのだなあと思いながら講習会を委員会のチェアとして、取り仕切っていたわけです。建物は悲惨でしたが、海は美しく、本来とてもきれいな国なのだなあということはよくわかりました。その時に会場に勉強に来ていた女医さんの一人がシリアから参加しておられました。会場でわざわざ私に挨拶に来られて、自分は形成外科の医師で、シリアの病院で働いているということと、この講習会では乳がんの乳房再建のプログラムがかなり入っているので、それを勉強したいと思ってシリアから参加しているということでした。また、自分の国も内戦でとても難しい状況があるが、乳がんという病気の女性も多く、乳房再建を希望する女性もかなり多いのだという話を聞きました。本来はこの講習会は彼女と同じ病院のもう一人の形成外科医と参加するはずだったのだが、先月この医師は内戦に巻き込まれて亡くなったということでした。
そんな中よく隣国のこの講習会に来ることができましたねえ?と聞くと、シリアではこういう講習会は全くなくて医学書を読んだり、ビデオを見たりするくらいしか勉強する手段がないということでした。そんな中、このような乳がん後の乳房再建の講演やビデオをたくさん見て、講師に質問もできるこのような講習会なら命がげでも参加するのが医師として当たり前でしょうというような話でした、シリアの内戦の中でこういう仕事をされている医師がおられるのは本当に頭が下がる思いでした。乳がん後の乳房再建は私がずっと行ってきた仕事の一部でもありますので、こういうプログラムを作ってよかったなあと思ったり、レバノンのような国で講習会を開催していいのかどうか迷ったこともありましたが、とにかく講習会を開催してよかったと強く思わせてくれたシリアの女医さんだったわけです。今はどうされているのでしょうか?地震による災害にまきこまれていなければいいのですが…。無事を祈るばかりです。
投稿者:megaclinic
医学部での試験
そもそも医学部って試験が多い学部だと思います。医学部は大学生活が6年間あるわけですが、5年生、6年生の頃になると、ほとんど毎週試験です。試験の数が多いのもいやですが、落ちると追試があって、これもプレッシャーがかかります。通常筆記試験ですが、追試は面接試験をする教授などもあって、これもいやなタイプの試験です、どう考えても。学生時代で特にいやだった試験はグループ試験と言われていたもので、たとえば解剖などはほぼ半年間ずっと死体解剖の授業が続くわけですが、基本的に大体5人の学生でご遺体が一人割り当てられて解剖の授業が進行します。この間ほぼ毎週試験があるわけですが、この試験が京都大学の場合は、同じグループの5人に対して一人の教官があれこれ質問をするわけです。一人ずつ順番に何周も繰り返して質問攻めです。この試験でいやだったのはもし一人が間違えたり、モゴモゴやってしまうと、この学生一人が不合格になるのではなく、他の学生がスラスラ全問回答をできていてもグループ全員が不合格になるわけです。迷惑をかけてしまった学生はグループの他のみんなにとても申し訳ないという状況になってしまいます。これはこれで学生にしっかり勉強しないと大変なことになるよと言っているようなもので、たしかにみんな頑張って勉強していたなあと思います。
このグループ試験以外でいやな思い出のある試験は卒業試験です。現在はどうもこういう試験風景ではないという話を聞いたこともありますが、私の頃の内科の卒業試験はクラスを3等分して、内科1,2、3の3つのグループの分けられて試験を受けることになっていました。それぞれの内科教授が一人ずつ口頭試問という形式で受験でした。これがとても不公平で、当時の第三内科の教授はもうとにかくほとんどの学生を不合格にするのです。第一内科や第二内科の教授はいつもほぼ全員合格で、この差はどういう理由?と先輩からも語り継がれていた問題です。試験はまず初診の患者さんの問診を学生が行います。患者さんは前もって試験に協力してくださいと説明がされていて、学生に症状を話したりした後に、内科の医師による診察、治療が行われるという段取りです。試験を受ける学生にとっては、どんな患者さんが当たるかわからないので、症状を真剣に聞いて、患者さんが部屋を出てからは自分で症状の確認、考えられる診断名、治療方針などを頭に入れてから教授の口頭試問を受けるわけです。当時の第三内科は免疫が専門の教授で、すべての質問がなんとなく免疫疾患につながっていくわけです。たとえば担当した患者さんがおなかが痛いくて下痢気味などの症状があれば、腹痛を起こす免疫疾患は何か?頻度の多いものから順番に言いなさいなど、そんな難しいことを言われてもなあ、、というような試験だったわけです。当然私を含めて多くの学生が不合格になって、追試でやっと合格になって無事に卒業ができたというわけです。今、思い返してもつくづくいやな試験でした。いつまでたっても試験のことが時々頭に浮かんで夢でうなされたりしています。
投稿者:megaclinic
赤ら顔、酒さの悩み
最近肌の相談でよく経験するものに、赤ら顔や酒さと言われる状態の肌の方がおられます。本当に異常に赤い肌の方もあって、これは毎日つらいですねえと思ってしまいます。原因はさまざまで、お酒の飲みすぎの方もあれば、化粧品などのトラブル、あるいはステロイド軟膏などの特殊な軟膏を長期に続けすぎた場合、内服薬による副作用、他には全く原因不明の場合など一人ずついろいろの状況があるように思います。まず原因がわかっている場合は日常生活の指導が必要になります。それ以外に治療方法としてはいくつかの方法が効果があると言われています。もちろん効果には個人差があり、効果が出る方もあれば、あまりはっきりしない方もあって、いろいろ試みて、自分に合っているものを探してもらうということになっています。簡単にすぐ治るものでもないので、根気よくご本人にも頑張っていただく必要があります。当院で行っている治療はフォトフェイシャルによるもの、ミノマイシンの長期の内服療法、最近開発されたタクロリムス軟膏などによる治療、さらにイオン導入などです。ご相談をご希望の方は、院長の高柳と看護師長の中川の二人がいる日の予約をとっておいでください。
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大阪大学で講義をします
来週の月曜日は午後に大阪大学で医療通訳としての勉強をしておられる学生の方に私が講義をすることになっています。当院では英語については私やスタッフの一人が英語を話すことができますので、診療に支障はないのですが、中国の方が来院された場合、日本語がわからない方も多いので、このような場合医療通訳の方で中国語と日本語のできる方を依頼しています。私も中国語はほとんど理解できません。かゆい?痛い?お疲れ様、そっとそっと、などが話せるくらいです。通訳の方にもいろいろのタイプがあって、実際にはとても便利な人もあれば、通訳として、こちらも手間取ってしまう方もないわけではありません。そういうことで私たちが医療通訳の方に求めるもの、また形成外科や美容外科、美容皮膚科などで、どういう治療や手術を行っているか、などについても講義をする予定になっています。
大学での講義は以前は京都大学や香川大学で非常勤講師をしていましたので、一年に何回もこれらの大学での講義を行っていました。また外国ではアメリカのボルティモアにあるジョンズホプキンス大学の形成外科で客員教授をしていますので、ここでも講義や手術指導をよく行っています。また同じアメリカのデューク大学の形成外科では国際美容外科学会からの派遣で、国際美容外科学会教授として講演を3日間くらい担当したこともあります。大阪大学は実は今までご縁がなかったのですが、今回招待をいただき、初めて講義を行うことになりました。新しい大学に行って、学生さんたちと直接接して、話をするのはとても楽しいことです。今日と明日はまだプレゼンテーションの合計時間やスライドやビデオなどの調整を行って、月曜日の講義の準備をしっかりやっておく予定です。
投稿者:megaclinic
ミラドライの治療による死亡例
最近のある医学論文でわきの多汗症の治療用のミラドライによる死亡例の報告があります。ミラドライはわきのエクリン汗腺に作用して、脇の多汗症の治療に用いられるマイクロ波を利用した医療機器です。基本的にわきがの治療用ではありません。脇の汗は減量するようですが、汗の量が減っても臭いは改善しないと思います。汗が少なくなればにおわないという意見もあるようですが、私はそうは思いません。やはりにおいます。手術でアポクリン汗腺を切除しないと治らないと思います。この報告にある亡くなられた方は、体臭の改善のために会陰部、性器、肛門周囲にミラドライによる治療を受けたそうです。治療後に発熱、強い痛み、治療部位からの出血といった副作用を生じ、トキシックショック様の症状が出て、急速な全身状態の悪化によって死亡したとされています。もともとミラドライはわきの治療用のものなので、適正使用ではなかったわけで、医師の責任が問わられることになりそうです。ミラドライについては以下のような注意喚起がなされています。この機器の添付文書には使用目的又は効果として(本品は、腋窩多汗症を治療するために使用する機器である)と記載されています。わきがなどの臭いの治療用でもなく、わき以外での使用についても記載されていません。
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国際美容外科学会、教育委員会のチェア
国際美容外科学会(ISAPS)には合計20くらいの委員会があります。現在私自身はSafety Committeeという医療安全委員会とでも訳せばいいのでしょうか、要するに美容外科の安全な手術のための委員会で活動を続けています。私自身はこの国際学会の会長を2年間担当したわけですが、それより以前には教育委員会という美容外科の手術指導を担当する委員会に8年間ほど所属していて、その最終の2年間はチェア(委員長)をしていました。たくさんある委員会のうちEducation Councilと言われるこの教育委員会が一番多忙な委員会ということになっています。
国際美容外科学会の主な活動の一つは毎年世界中のあちこちの国で、その国の美容外科医の手術指導を行うことです。毎年大体20回くらいこの講習会が世界のどこかで開催されています。この委員会のメンバーも毎年何回かは世界のどこかに行って手術の指導を担当しています。講演をする医師の発表だけだったり、実際に現地で何人も患者さんを集めて、世界中から招待された医師が手術室で会場からの質問を受けて、いろいろ説明をしながら実際の手術をしたり、死体を使った手術の練習を指導したり、いろいろのスタイルで手術指導をするわけです。そのために世界から約20人くらいの医師を指導医(ファカルティー)として招待をして、その交渉、通常3日間の講習会のプログラムの作成、招待した医師の採点、評価などを行っているのがこの委員会です。このチェアを私は2年間担当していたわけですが、これが会長と同じくらい激務であるわけです。1年間に世界中で20回もこのような講習会を準備してあれこれ担当するのは本当にきつい仕事です。日本を含めて、アジアでこの委員会のチェアになったのは今までに私だけです。アジアから最初に私が選ばれた時は光栄なことだと思って喜んでいましたが、あまりの激務で話が違うなどと途中で思ったこともありました。でもだれかが世界の美容外科ためにやらないといけない仕事なので、とにかくまあよく続けられたと思っています。名誉なことであり、ある意味世界を動かすこともできるような仕事なので、私の後に日本からもどなたかにぜひ頑張っていただきたいと思っています。今のところアジアからは2人ほど候補がいますが、日本の美容外科医が入っていないのは残念なことです。
この委員会にはあまり公表されていないルールがあります。それは世界中からこの医師に手術指導をしてもらいたいというリストを常に作っていることです。これは各国にISAPSの代表としての医師が決めてあって、さらに各国の美容外科学会会長や形成外科学会会長に、手術結果がすばらしい医師や新しい手術を発表してその結果が優れている医師などを毎年推薦してもらっているわけです。このリストの中から委員会のチェアが人選を行ってプログラムをつくって、その講習会への招待状を送っているわけです。ある国での講習会に講師として参加してもらった場合、次の活動はこの医師の採点を内緒で行っていることです。いい点がつけば、それ以降も何回も招待状が送られることになります。一方いい点がもらえなかった医師、たとえばプレゼンテーションの質がよくなかったとか、会場からの英語の質問にうまく回答ができなかったとか、実際に現地で手術を何人も担当することもあるわけですが、手術後にトラブルがあったなどのケースでは、今後招待しないというリストにいきなり入れてしまうこともあるわけです。こういう活動を続けて国際学会の承認したレベルの高い講師陣というリストを常に作っているわけです。当然この委員会のチェアとメンバーは全員このリストに入っています。また、このリストはこの委員会のメンバーだけが知っています。このような活動をして世界の美容外科を安全でレベルの高いものにしようといつも活動が続いています。今のチェアもよく知っている医師ですが、皆さんチェアになると本当の頭が下がるくらい頑張っておられます。本当にこの国際学会はすごい医師たちの集まりだなあといつも誇りに思っています。
投稿者:megaclinic
豊胸インプラントの除去の方法
過去にインプラントによる豊胸を受けた方で、そろそろバッグの除去か、入れかえなどを検討されている方も多いと思います。バッグにも劣化という問題があり、現在は豊胸手術を受けてから大体15年くらいで入れ替えをするか、除去をするのが望ましいということになっています。古いバッグは外膜の劣化が起きることがあって、これが起きると肉芽種ができたり、周囲に石灰化が起きて、痛みが出たり、バストの一部が硬く触れるようになったり、出血やリンパがたまったり、レントゲンで影が出たり、引きつれなどが出る可能性もあります。病気になることはないのですが、上記のようないろいろのトラブルが起きてくる可能性もあるわけです。定期検診を受けてもらっている方であれば、このような異常があれば検査でわかりますので、毎年の検診を受けていれば早期に対応ができるわけです。
バッグの入れ替えや除去を行う場合、実際に行う方法は3つのものがあります。バッグの除去のみ、除去と同時に脂肪の注入をしてバストがかなり小さくなるようなことを防ぐ、バッグを除去して、新しいバッグを入れる、などになります。除去のみを行う場合、バストは本来の今の状態のバストに戻ります。豊胸前のバストには戻りません。したがって、以前よりかなり小さいバストになるかもしれませんし、多少下垂などが残るかもしれません。除去のみを行う場合、除去後1カ月はバスト全体の軽い圧迫固定が必要です。これをやっておかないとバスト内に血液やリンパがたまることがあり、これが起きるとバスト全体の収縮が始まりますので、凹凸が残ったり、かなりの下垂のような状態が残ることがあります。この修正はかなり難しいことが多いので、1カ月の軽い圧迫固定は絶対にしておく必要があります。また脂肪注入を行う場合、一度にあまり多量の脂肪注入をすると血流の再開が起きないことがあり、注入した脂肪の壊死や溶解が起きて、しこりができたり、注入した脂肪があまり生着しなかったりするトラブルが起こります。このため状態によっては3か月後くらいに2回目の脂肪注入をしてご希望のバストの大きさになるような調整を行う必要があるかもしれません。脂肪注入を行う場合はバッグの除去と同時にしたほうがバストのやわらかさがあるので、脂肪の生着率が高くなるということがわかっています。バッグの除去の際に新しいバッグを入れておくのはとても簡単な方法で、バストの大きさも自由に選択ができます。以上3つの方法からご希望の方法を選択されればいいと思います。ただ脂肪注入をご希望の場合だけは採取する脂肪が必要になりますので、あまり痩せているという体形の場合は、この方法が難しいという場合もあると思います。
投稿者:megaclinic
PRPプラス成長因子によるシコリ、ふくらみ
先日東京で日本美容外科学会(JSAPS)がありました。私も出席して講演を聞いていたのですが、その中の演題の一つにPRPプラス成長因子によるしこりや膨らみに対する治療についての発表がありました。治療方法としてステロイドの注射を繰り返すか、これでもだめな場合は、メスを入れて切除という方針で講演をされていました。方法としては私を含めて多くの医師が今までずっと試みてきた方法です。欠点はステロイドの注射で確実にふくらみやしこりが治らないことが多いこと、副作用として、液が拡散するために目的とした部位以外にへこみが出たり、皮膚の萎縮、変色が起きることがあるということ、などがあげられていました。切開は確実に減量ができるということを示されていましたが、やはりメスを入れるので、キズが残ることが欠点です。現状では多分多くの医師がこのような方法で治療をされていると思います。私自身も同じ方針でずっと行ってきましたが、やはり同じような悩みがあります。ステロイドが無効なことがわりにあり、メスを入れて除去の場合、キズが残るということです。
やはりキズが残らない、メスを入れないという新しい方法としてニードルサクションをさらに安全で確実な方法として確立したものにしていく必要があるように感じました。ただ今の段階で、ニードルサクションはキズが残らないという利点がありますが、手術中に仕上がりの確実な予想がまだ難しく、3か月待ってから追加のニードルサクションや状態によっては微量の脂肪注入などで調整がいることもありうるというのが現状です。複数回の治療が必要になるかもしれないという点は、なんとか改善させる方法がないかと試行錯誤中です。さらに検討、研究がいるような日々ですが、なんとかこの治療を安全で確実なものにしていきたいと思っています。当初は3日間のガーゼでの圧迫固定をすればあとは待っているだけでいいと考えていたのですが、やはり皮下には薄い層であっても瘢痕ができるという考えから、途中経過を見て、必要ならピタシートやレストンを使っての在宅時の圧迫固定の指導やその継続、場合によっては内服薬や軟膏、ステロイドの注射を繰り返すことで早く炎症を抑えたほうがいいというケースもあるように考えています。治療をして全く通院をしてもらえない方もまれにはあるのですが、経過が見れませんし、途中の管理を指導できないので、時々通院をして状態を見せてもらったり、これが遠方で難しいという場合でも写真で経過を見せてもらったほうが安心です。こちらも勉強中というところがあります。新しい治療の場合、私自身がどなたかの医師から学ぶということができませんので、患者さんが私の先生ということになっているのが現状です。
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NHKのニューイヤーオペラコンサート
オペラの好きな方なら多分NHKのニューイヤーコンサートは毎年見ておられるのではないでしょうか?日本のベストという方々が出演されますので、絶対に見逃せないですよね。私も毎年見ています。ソプラノの森麻季さんとかテノールの福井敬さんとか、バリトンの黒田博さんとか、もう私自身がすごいファンなので、たまりません。どうしてあんなに素敵な声が出るのでしょうねえ。あんなに美しく歌えたら本人も楽しいと思います。ブラボーの連発でした。もちろんこの番組を楽しむ時はワインですよね。今回はカリフォルニアのシャルドネにしました。おいしいワインを楽しみながら、美しいオペラを聞くなんて、至福の時です。
今回すこしだけ残念だったのは、司会を担当された宮本亜門さんです。以前はこういうことがなかったと記憶しているのですが、今回は台本をずっと読んでおられて、これも時々言い間違いとか噛んだりされて、こういうのはいけませんよね。紅白歌合戦の女性の司会者の橋本環奈さんのようにすらすら楽しくノリノリでやってほしかったです。話がはずれますが、今回の紅白歌合戦の女性司会者はすごかったですね。歌って踊ってすべらず話して、最高でした。今回のオペラの司会はちょっとどうなのかなあと思ってしまいました。他の部分では楽しくて仕方がなかったのですが、司会の部分になると、盛り上がらないようなことになってですね。ちょっと気になってしまいました。でもこうもりとかトスカとかトゥーランドットとか、もう素晴らしかったです。またゆっくりいいオペラがあれば、聴きに行きたいですねえ。みなさんにとって最高のオペラって何ですか?私はフィガロの結婚です。これ楽しくないですか?歌が本当に素晴らしくて、モーツアルトは偉大だーって思いません?
投稿者:megaclinic
京都大学形成外科初代教授一色先生
京都大学病院の形成外科の初代教授の一色信彦先生が昨年亡くなられました。私が京大の形成外科に勤務していた時に初めて形成外科が講座になり、その際に教授選があって、耳鼻科におられた一色先生が初代形成外科教授になられたわけです。それまでは形成外科という診療科は京大病院の中では皮膚科の形成外科診療班と耳鼻科にも同じようなグループがあったわけです。各大学でいろいろ状況が異なりますが、形成外科の講座がなかった頃は、耳鼻科で唇裂や口蓋裂、耳の変形、顔面神経麻痺などを治療していたグループ、整形外科で手の外科を主に治療していたグループ、私たちのように皮膚科でやけど、外傷、皮膚がん、先天奇形などを治療していたグループなどのように、現在形成外科で治療をしている分野がどこかの科で診療をしていたわけです。それが次第に専門科として成立して形成外科に発展したわけです。もともと一色先生は喉頭が専門で、声帯などの治療では世界的に有名な方でした。本来は耳鼻科の教授を目指しておられたと私は今でも思っています。なぜ形成外科の教授になってしまったのかというのはなぞですが、私が思うには、当時京大の耳鼻科の前の教授である森本先生という方がおられて、この方が京大で形成外科らしい診療を開始したのは私だと言っておられたような記憶があります。形成外科が講座としてスタートするのであれば、私の弟子である一色先生が教授になってほしいとかなり圧力をかけられたのではないかなあと今でも思っています。とても個人的な見解ですが、多分当たっていると思っています。声の研究では世界のトップクラスである一色先生は、形成外科の教授になりたいと本当に思ったのでしょうか?森本教授の圧力に負けてのことであったのであれば、一色先生にとっては無念なことだったのかもしれません。お酒の席などで一度一色先生に聞いてみたかったです。
韓国の有名なオペラ歌手が甲状腺のガンで声を一度無くされたわけですが、この声を再生させる手術を一色先生が執刀され、この歌手の方が見事にオペラ歌手として復活する話をNHKの放送で見られた方もおられると思います。本当に感動する話でした。この見事な手術をされたのが一色先生で、形成外科とは関係のない分野で世界的に有名だったわけです。本当は耳鼻科の教授になりたかったのではないですか?と今でも聞いてみたいです。国際喉頭学会というのがあるそうで、昨年一色賞という賞が設立され、最初の受賞者に一色教授が選ばれたそうです。ご冥福をお祈りします。
投稿者:megaclinic