院長ブログ
ミコノス島
ギリシャの島は本当にたくさんあって、サントリーニ以外にも素敵な島がいくつもあります。やっぱりサントリーニの次に有名なのはミコノスですよね。国際美容外科学会でいわゆるISAPSコースと言われる講習会がギリシャの島でも何回か開催されたことがあります。ミコノス島とロードス島です。本当にエーゲ海にはうっとりするようなところがたくさんあります。サントリーニが私は最高なのですが、その次に好きな島はミコノスです。この島は風車が有名ですよね。ミコノスで一番の観光地になっています。写真でも出しておきますが、このあたりはいつも観光客がたくさんおられて、さすがに世界的に有名な場所なのだなあと思います。
ISAPSコースが開催されたのはこの場所ではなくて、ミコノス島のずっと奥というか、風車のある景色からはずっと離れた場所でした。通常の観光ではこういう場所はなかなか行かないと思いますが、この講習会の企画担当はギリシャの先生だったので、たくさん素敵な場所を知っておられたわけですね。講師で世界から招待された医師たちと講習会に参加して勉強にこられた医師たちは皆さん3日間、このうっとりするような景色を楽しんでおられました。
講師陣に入っておられたギリシャの先生は二人おられたのですが、お二人にこんな素敵な場所で講習会を企画してくれたことと、私を講師の一人として招待してくれたことにお礼を伝えていたのですが、そのうちの一人の先生が、次にギリシャに来た時はぜひエーゲ海にある自分の島に来てくれというのです。島が全部ご自宅なのだそうで、広い別荘があるので、次はぜひ、、、というようなことでした。残念ながらまだその機会がありません。次にギリシャに行ったときは押しかけようと思っています。その頃にその約束を忘れていないといいのですが、、、。ついでに彼はかなり裕福な方で、しばらく国際美容外科学会の理事会でも一緒に仕事をしていました。とても自動車好きの先生で、よくいろんな車の話をされていたので、一度家に何台車を持っているのかと聞いたことがあります。びっくりしたことですが、彼は自分の家に何台の車があるのか知らなかったのです。多分30台くらいかなあ、、、、みたいなことを言っていました。そんなにたくさんの車を持っていてどんな生活なんでしょうね?車の管理だけでもかなり忙しいのと違うんですかね?まあ、他人のことなので、どうでもいいですけど。
あ、ついでですが、私の感想。ロードス島とクレタ島はわざわざ観光に行くほどでもないと思います。納得できない方は一度ぜひ。
投稿者:megaclinic
今日はテニス部の納会です
毎年この時期になると京都大学医学部ソフトテニス部の納会があります。卒業生を送り出す会というわけです。今日は学生と一緒に京都で食べたり飲んだりすることになります。いつも毎年思うのですが、本当にごく一部の卒業部員はもう1年か2年頑張れば、優勝を狙えるところまで育つのに、、、と思う部員がいます。でもそうしなさいって言えないですよね。京大に入るのに浪人をするというのはよくあるわけですが、テニスで優勝をするために留年しろって言えません、いくらなんでも。って思うでしょ?
でも医学部ソフトテニス部の歴史ではそういうことがあったのです。私が学生だった頃は京都大学が団体戦でも個人戦でも何回か日本一になった部で、私の先輩にも個人戦で京都と兵庫と山口と沖縄の高校チャンピオンになった人がいたのです。これすごいでしょ。なかなか他の大学ではないですよ。ある時そういう先輩の一人が私に、「高柳、本当にテニスが強くなりたいのだったら、京都大学なんかにいたらだめだ。早稲田とか明治とか日体大とか同志社に行った方がいい。」、、、はあ?ですよね。でも真面目な顔でこんなアドバイスをくれた先輩がいました。私、そこまでテニスにのめり込んでいませんから。医者になるのを断念しろってねえ。でも実際にテニスですごい人になろうとすれば、周りにすごい人がたくさんいた方がいいとは思いますし、勧められた大学では練習量もおそらく全然違いますもんね。医学部では何しろ実習とか試験とか多すぎてもう、、。
それより、当時京大と争うくらい強豪だったある大学のエースだったペアで、その県の国体選手で、本当にものすごく強かった二人がおられました。あまりにテニスにのめり込んで、二人とも医師国家試験には何回も合格できなかったとか、、、。その後医師になれたのかどうかはよく知りません。たしか3回続けて不合格だったらしいという話は聞いたのですが、、。ある意味こわい話ですよね。
京都大学でも同じような話があって、私の2年下の後輩ですが(今は立派で優秀なお医者さんになっています)、彼が卒業近くになった時に先輩の一人が「お前がもう一年頑張ったら、絶対団体戦も個人戦も優勝できる。今年卒業するのはあまりに惜しい!もう一年やれ!」と説得したのです。こんなんあかん、、と横で聞いていて思ったのですが、彼はその時納得したような顔つきでした。それで卒業試験のある科目だけ試験を白紙で提出したのです。その話を後で聞いて、あー、やっちまったなあ、、と思いましたがもう手遅れでした。彼はテニスのためにもう一年留年してテニスを頑張ったのです。それで本当に久しぶりに京都大学が団体戦で優勝できたのです。残念ながら個人戦は最高が3位で優勝はできなかったのですが、それでも彼は人生の中でいい決断だったと納得しているようです。なんですかねえ、人生の中の価値観って。まあ、一年くらいいいですか。彼にとっては最高の思い出みたいです。彼は人生の中の素晴らしい宝物を手に入れたってことですよね。でもこういう学生はこれからは多分出ないんでしょうねえ。
投稿者:megaclinic
寒い時はくそ暑い夏のギリシャでも思い出して、、
もうすこしで春だと思うのですが、毎日本当に寒いですよね。そんな時はくそ暑い夏を思い出すのがいいかもしれません。すこしでも気が楽になりますよね。人生の中で本当にこんなに暑いのはたまらんなあと思ったことありません?私は何回かあります。一度は長崎で私たちのテニス大会があった時です。その時のコートはとにかく樹木が周りにないので、どのコートも炎天下という感じでした。コートに試合で入ると、コートの地面が熱くて、足の裏まで熱いのです。あの時は本当にテニスコートで倒れないか心配でした。テニスコートにはたびたび水をまくのですが、それでもすぐに乾いてしまって意味がないというか、、。
他には夏のギリシャです。真夏のギリシャはすごいんですね。エーゲ海の島もたくさんありますが、真夏の場合、観光客の皆さんは早朝と夕方に観光に出かけておられて、昼間は暑すぎるので、ホテルで昼寝かプールやビーチでのんびりというパターンが多かったように思います。きれいなところなのですが、真夏は暑すぎて、冬は風が強くて寒すぎてというところみたいです。でも特にエーゲ海のサントリーニ島などは美しすぎて、もう感動、感動ですよね。食事も周りの海で取れた新鮮な魚をオリーブオイルで料理しただけみたいなものが多いのですが、これがもう美味しくて、うっとりです。どこまでも青いエーゲ海とあの暑かったサントリーニ、、また行ってみたいですねえ。
あ、思い出しました。この島は夜も絶景です。まわりが真っ暗なので、とにかくすごい数の星が見えるんです。島の一部はかなり高いところにあるので街からすこし離れると、真横にすごい数の星が見えます。最初はなんの光?って思いましたが、、。日本では星は真上ですよね。サントリーニ島では真上にも真横にもびっくりするくらいの多くの星が見えます。寒さを忘れて、こんなところでのんびりしたいですね。でも、ずっとあまり長くいるとバカになりますよ、ホント。
投稿者:megaclinic
二重を作るいくつかの方法
目はとにかく顔で他の人から最も見られる部位になります。そのため目についての手術は美容外科では一番多い手術になります。まぶたの手術で一番多いタイプの手術が二重を作ったり、その幅や形を修正するものです。この方法には主に3つの方法があります。埋没法、ビーズ法、切開法がそれらになります。それぞれ長所短所がありますので、少しお話ししておきたいと思います。
埋没法は当院では2本の糸をまぶたに入れて、二重を作っています。長所ははれが少なく短いこと、傷が残らないことです。欠点は二重の固定力が弱い方法なので、腫れぼったいまぶたの人では二重にならないこともあります。また1−2割くらいの方では二重が将来取れたり、狭い幅の二重になったり、しわのような浅いラインしか入らないなどの問題が出ることもあります。もう一つの問題はもともとある二重や以前の手術による二重などの場合は二重の幅を変更することができないことです。二重を大きくしたいなどの場合は、埋没法は元の二重のラインを消す処理が入りませんので、このような場合、三重になったり、もとの二重に戻ってしまうということがありうるわけです。
ビース法というのはやや古い方法ですが、長所として、傷が残らない、二重の固定力が埋没法より強いことが挙げられます。欠点は手術から1週間は瞼にビーズが並んでいて、これが見えてしまうこと、腫れが強く起き、2ー3週間くらい目立つ可能性があることなどです。埋没法よりはラインが取れたり、狭くなるなどのトラブルはずっと少ないのですが、切開法ほど一生大丈夫ですという方法でもありません。だいたい100人手術をすると、2−3人は二重が取れたり、狭くなる可能性があります。
切開法のいいところは二重を自由に作れることです。以前に二重の手術をされていたり、もともとの二重の幅を変更したいなどの場合も自由に新しい二重を決めることができ、これが一生そのまま持ちます。腫れは埋没法よりは少し長くなるかもしれません。また4−6日目に抜糸がいります。短所としては傷がしばらく見えることです。赤みは数週間くらいは続きますので、この間化粧などで赤みを隠す必要があるかもしれません。最終的には切開法の傷か二重のしわか見分けがつかないくらいにきれいになります。切開法は一度手術をすれば、将来二重の幅や形を変更できないと思っておられる方もありますが、再度の切開法で2ミリくらいなら幅を広くしたり、狭くしたりすることも可能です。
いろいろの方法がありますので、実際には診察をして適応やいろいろの可能性などについてくわしく相談をして手術の方針を決めることになります。
投稿者:megaclinic
小さい子供とお母さんの会話
子供:お母さん、くそまんかーだって。 お母さん:あ、あれはワンマンカーね。
投稿者:megaclinic
何かを得て、何かを失うということについて
時々学会などで経験することなのですが、美容外科や形成外科の手術で、何かを得ようとして、何かを失っているということがあります。たとえば、乳がんの乳房再建の方法の中には背中の広背筋という大きい筋肉とその上にある皮膚、脂肪を利用して片方のバストを再建するという方法があります。乳がんでは片方のバストがなくなるか、かなり小さくなって変形として残るということがあるわけです。ある外科医などは命が助かったんだから、バストの左右の非対称くらいなあ、、って言われると、私は馬鹿かと思うわけです。女性にとっては大問題ですよね。いくつもある再建方法でこの広背筋を使う方法は広背筋皮弁と言われていて、これでバストが左右対象に再建されたとしても後ろを向いてもらうと、背中は明らかな非対称が残っているのです。片方が凹んでいるというか歪んでしまうのです。ご本人もいすなどにもたれかかると片方の背中の骨だけが当たったりして気持ち悪いとか、片方の背中が寒いことがあるなど、いろいろ問題があるわけです。
私たち形成外科医や美容外科医は体の左右非対称という問題もよく修正してきたのではなかったのか?と思ってしまいます。そういう理由で私はいくつもある乳房の再建方法でこの方法だけは嫌いなのです。あまりしたくないと思っています。
またたとえば顔の脂肪注入、あるいは最近の再生医療などで脂肪を採取することがあります。この時に採取部に異常な凹みや凹凸、あるいは左右非対称などを残してこれを平気な顔で学会で発表しているような医師もおられます。全くどういう神経なのでしょうね。そういう発表を見ると、私はいつもこういう手術をして、あなたが作った変形のために患者さんは悩んでいませんか?こういう手術を形成外科医や美容外科医はしてはいけませんときついことを言って噛み付いています。たとえ相手が大学教授などであっても馬鹿呼ばわりを平気でしてしまうので、だから私は一部の医師からは嫌われるのかなあと思ったりしているわけです。でもこういう講演を若い医師が会場でたくさん聞いているわけですから、こういう手術をしてはいけないということを学んでほしいですよね。全て私たちの患者さんの笑顔のためになることだと思いますので、気に食わない発表は必ず噛み付くことにしています。
ここだけの話、私とはある時から一切口を聞かなくなったある大学の形成外科の教授がおられます。彼のあの時の講演に私が噛みついてからなんですよね。でかい顔をしておられますが、、、基本的に小さい方なんだから、ま、いいですか。
投稿者:megaclinic
オブラディオブラダ
村上春樹の本はかなり面白いのが多いので読んだ方も多いと思います。私も彼の小説の大ファンで、彼の小説は全部読んでいます。最高峰は、やっぱりなんといっても、ねじまき鳥クロニクルですよね。ついでですが、私の中ではノルウェイの森が最低ランクです。何故あの本がベストセラーになったんですかね?まあ、どうでもいいですけど、、。小説家として有名ですが、彼は自分の小説以外にも、いくつかの外国小説の翻訳をしていたり、たくさんのエッセイも書いておられます。
そのエッセイの中で、彼が学生とビートルズの歌の翻訳をしていた時のことを書いていたのがありました。オブラディオブラダという歌がありますよね。私も大好きな歌です。歌詞を覚えていますか?Obladi Oblada, life goes on bra って言うフレーズがありますよね。村上春樹さんと学生のやりとりの中でbraが問題になっていました。ある学生は人生はブラジャーの上を流れて行く、と訳したとか。すると別の学生が、それって人生は山あり谷ありってことですかね?なかなかの学生さんたちですね。素晴らしい!
でも、このbraは実際には、イェーとかヤッホーみたいな、意味のない掛け声という解釈とbrotherという意味で、やれやれと訳すのがいいとか、ねえみんな、くらいの意味などの解釈があるのだそうです。
それならオブラディオブラダはどういう意味なのか気になりますよね。調べてみると、これはナイジェリアのある部族の言葉で人生は続いて行くという意味だとか、ビートルズと仕事をしていたある人の造語という説があるそうです。人生は流れて行くんですか、、やれやれ。そんな気分の時はブラジャーのことを考えてるといいんですかね?
投稿者:megaclinic
徳島に行ってきました。
昨日と今日の二日間、徳島の大神子テニスコートというところで、徳島大学、愛媛大学、広島大学、香川大学、岡山大学、そして私の京都大学のそれぞれの医学部ソフトテニス部が集まって、大会をやりました。毎年恒例の大会です。もともとは春にある関西選手権(医学部、歯学部、薬学部のソフトテニス部の大きな大会です。ついでですけど、この関西選手権は私は個人戦も団体戦も優勝しています。)の前に練習試合をしようということで始まった練習試合だったのですが、3年くらい前に公式戦になっています。団体戦とあとは余った時間は適当に個人戦をしています。
今回は京都大学は予想していた通り、男子も女子も全く勝てませんでした。大神子テニスコートは徳島市の南の方にあって、大神子海岸という海のそばにあります。今回はもう寒くて寒くて、おまけにすごい風で、天気は良かったのですが、もう勘弁してほしいと思うくらい寒かったです。たくさん着こんで準備はして行きましたが、それでもこの寒さは辛かったです。京大がもっと勝ち進んでくれれば、少しは楽しかったのですが、また負けたー、また負けたー、、、ばかりでもう全然楽しくなかったです。
ほかには毎年せっかく徳島まで行くので、麺王という徳島ラーメンだけはしっかり食べてきました。これは毎回行くお店が決まっていて、なかなかお気に入りなんです。徳島駅に近いところなので、いつも絶対に食べに行きます。
私の好きなラーメンは関西の天下一品、博多の一蘭、そして徳島の麺王です。どれをとってもなかなかのレベルですよね。大体どこでもある程度列に並んで待ってからやっと食べられるような状況なんですが、それでもやっと食べられる時はもううれしくて、、、。今回はテニスでは全然うれしいことがなかったので、ラーメンだけを食べにわざわざ徳島まで行ったような気がします。チクショー。
ラーメンで思い出したことがあります。ずっと以前ですが、時々博多に友人たちと食事に行ったのですが、その後博多で少し飲み歩いたりして、最後はラーメンを食べようというようなことがよくありました。締めのラーメンみたいなことをよくやってました。その時にかなりお気に入りのラーメンがあったのですが、今はどうなっているのでしょうね?博多はそもそも屋台が有名なところです。この大好きなラーメンも屋台のお店でした。初めて入った時は、「いらっしゃい!どのラーメンにしますか?3つあります。運動会ラーメン、ターザンラーメン、セミラーメン。」ってなんのことだか???お店には大きな字で「作り方一流、味三流」って書いてありました。お店の人に聞いてみると3つのラーメンは全く同じもので、ただ作り方が違うというのです。もうわけがわからないですよね。どうせ同じものなら、じゃ、運動会ラーメンをその時は頼んでみたのです。で、作り方は要するにメンをゆでて、それを普通は鉢に入れるわけです。その過程を変更して、運動会の場合は、茹でたメンができたところでお店のスタッフの一人がお店の外に出て、ほかのスタッフが用意ドンって言うと、お店の周りを走り出すのです。お店の反対側あたりで一人のスタッフがそのメンをほりあげて、向こう側で走り出した別のスタッフが大きな皿のようなものでメンを受け取って、お店を回って戻ってきて、そこで客の鉢にそのメンを入れて、そのあとは通常のいろいろのものを注ぎ出して仕上がりになるわけです。味はあまり覚えていないのですが、作り方は実に盛り上がって面白いのです。
ターザンラーメンとセミラーメンはすごく作り方が似ていて、運動会で走るのではなく、店の横の電柱に登って、そこで下から別のスタッフがほりあげたメンを受け取るのですが、その時に「俺はターザンだー、あーああー」と叫ぶのと、同じ電柱に登ってせみのまねをして「ミーンミーンミー」と鳴く二通りの作り方があるという、そんなお店でした。こちらも大体その時間は酔ってましたので、それでお店のお客さんたち盛り上がっていたわけです。博多の屋台って時々変なお店がありますね。
写真は大神子テニスコート、徳島駅近くにある麺王のお店です。ここはいつも並んでます。
投稿者:megaclinic
顔の傷の修正
交通事故やその他の外傷などで顔に傷が残る場合があります。誰でも顔に目立つ傷があるのはつらいことだと思います。特に女性の場合は一生の大問題になりますよね。でも形成外科と美容外科の十分な経験のある医師であれば、こういうとんでもない傷もかなりきれいに修復ができます。私が修正手術を担当したお二人の患者さんの治療前後の写真で出しておきます。見ていただければ、どんな傷がどの程度に治るかということが理解できると思います。手術だけで終わりではなく、大体どのような場合でも手術後3ヶ月程度のテーピングやスポンジでの圧迫固定など、手術後の管理がとても大切なのですが、お二人とも、この管理を私が指導した通りに頑張ってくれました。そういうご本人の努力と協力がないときれいな仕上がりにはならないわけです。お一人の方は交通外傷で顔にたくさんの傷が残りましたが、顔の丸みに応じて、傷を直線状に縫合するのではなく、ジグザグをあえて入れて、顔のしわや丸いふくらみのカープにそうように傷の方向を変更するなどの修正が必要でした。もうひとりの方は片方の上まぶたの傷の凹凸が激しく、これを平坦にすることと、二重が傷によって無くなりましたので、一度平坦にしたまぶたに二重まぶたを作成する美容外科の二重の切開法の手術をして、左右の二重の形と幅を揃える再建手術をしました。再建後はかわいい元の二重まぶたにもどり、ご本人もとても喜んでおられました。こういう修復ができるためには形成外科の十分な経験と美容外科の技術の両方がどうしても必要になると思います。今の日本では直美というような問題があるわけですが、形成外科のトレーニングをしないで美容外科医になって、皆さんどうなるんでしょうねえ。日本はもうだめかもしれません。困ったことです。
ふと思い出しましたが、九州の小倉記念病院で働いていた時に外科の部長がおられて、病院の仕事が終われば、ほぼ毎日小倉の街のどこかでお酒を飲んでいるような、どうしようもない飲んだくれの外科部長でした。ごくたまにお酒を飲まずに家にまっすぐ帰宅すると、奥様がどうしたの?体調が悪い?など心配されたそうです。でもこのおっちゃん、わりに手術は上手でした。それでまあ、許してあげるとか、思っていたわけですが、、。酒は飲む、手術は下手なんかだったら、もうくそくらえですもんね。彼はたしか車を持っていたのですが、病院には毎日自転車で通勤していました。酔ったまま車で帰ると酔っぱらい運転になるので、お酒を飲んだあと、毎晩自転車で帰宅されていたわけです。今は自転車でもお酒を飲んでいるとだめなのですよね?違いました?でも当時は問題にはならなくて、そのような理由で酔ったまま自転車で家に帰っておられたわけです。
でも時々自転車でこけたり、小さい溝にはまって怪我をされていました。飲んでますから。よくあちこち怪我をされていたので、病院のみんなから自転車に子どもの自転車のような補助輪をつけたら?とかアメフットの選手みたいなヘルメットと防具をつけて飲み歩けとか、もういろいろ言われていました。病院の集まりでもよくお酒を飲まれて、すぐ酔ってしまうのですが、それでも隣に年配の看護師長などがいる場合、絶対にベロベロになっても、看護師長にはもたれかからないというふざけた習性がありました。必ず反対側の若い看護師さんとか、席を変えて若い看護師さんのそばにわざわざ移動して、彼女に酔ったふりをしてもたれかかるという、くそ親父だったわけです。本人に言わせると、どんなに酔っ払っても、看護師さんの歳くらい見分けられるがなー、、なのだそうです。本当に酔って自転車で帰宅される時は深い川に頭から落ちてしまえーとかみんなで祈っていたのですが、不思議なことに顔の怪我は一度もありませんでした。膝とか腕の切り傷とか打撲とか、あ、肋骨骨折もありましたが、、、。なんでしょうねえ。万一顔に怪我をして形成外科を受診された場合は、麻酔もしないで騒ぐなーとか言いながらみんなで押さえつけて縫合をしてあげようと思ったりていましたが、残念ながらそういう機会が一度もありませんでした。本当に残念。
-
Aさん手術前
-
Aさん手術後
-
Bさん手術前
-
Bさん手術後
投稿者:megaclinic
山崎豊子ー大地の子
ずっと以前に大地の子というドラマがNHKでありましたね。素晴らしいドラマで上川隆也さんがこのドラマでデビューされたように記憶しているのですが、、。満州で残留孤児になった主人公が中国で彼を育ててくれた養父母がいい人たちで、その後平和になってから無事だった実の父に会うのですが、中国の養父母と実の父の間で揺れながら日中合同の製鉄事業を完成させるという物語です。中国では悲惨な目に何度もあって主人公は育っていくのですが、たびたび泣いてしまうような素晴らしい名作でした。その後どうしても原作を読みたくなり、山崎豊子の本を読んでしまいました。彼女は本当にじっくり取材をされて、実際の戦争孤児の取材からこの本を書かれたそうです。彼女の本はこの他にも二つの祖国、白い巨塔、沈まぬ太陽などを読んだことがありますが、どれも本当に力強い文章ですよね。本を通して私たちに訴えてくる力がものすごい方だと思います。
最近テレビで上川隆也さんを見たことがあって、大地の子を思い出してまたこの本を読みたくなり読んでしまいました。何度読んでも戦争は残酷で、戦争孤児になった人の運命って、本当に辛いものがあります。この本を読んでいつも思い出すのは私の友人の北海道にいる大先輩の医師のことです。彼は形成外科学会でもたくさんいい発表をされいて、論文もたくさん出されていて、かなり同じ分野の発表が多かったので、とても仲がいいのです。とても優秀な医師で私もいっしょによく学会などで食事をしたりしていました。彼は実は生まれてすぐの頃に満州から戦争でロシア軍に追われて家族といっしょに逃げて日本に戻った方です。途中でご兄弟お二人が亡くなられたそうです。彼自身も家族が彼を捨てて逃げた可能性もあったかもしれないということを聞いたことがあります。それくらい満州から逃げる時は過酷な状況があったようです。よく日本に無事にもどられたと思います。
どうして人間は戦争をするのでしょうね。今も世界で子どもが両親をなくしたり、家族がいなくなったり、、、。ジョン・レノンのイマジン。みんなで歌いませんか?
投稿者:megaclinic