私の母
私の母は高柳みれいという名前です。京福電鉄の社長や会長をしていた祖父が画家のミレーの絵が好きで、この人の名前から取ったそうです。ピアノがかなり上手でほとんどプロのような人でした。でも料理は悲惨で、母の料理でおいしいなあと思った記憶があまりありません。たとえば味噌汁が辛くて文句を言うと、水をもってきて飲んどき…みたいな人で、腹に入ったらみないっしょというのが口癖でした。
小学校の時に母の作ったお弁当をあけると不思議なことがあって、私の卵巻きだけが黒いのです。他の友達の卵巻きはみんな黄色いのですが、なぜなんだろうといつも変だと思っていました。ずっと後になって、母の作ったものはお砂糖がすごく入っていたためということを知ったわけです。おかげで世界のどこに行ってもまずいなあと思う食事でも平気で食べられるようになったのはある意味ありがたいことでした。
母がピアノ以外で得意だったのは刺繍です。いろいろの作品を作っていて、きれいなものが多かったのでよく覚えています。いくつも家に残っていて時々懐かしく思って眺めています。ついでに彼女が残してくれたもので、迷惑しているものは清水焼です。これは京都で母が習っていて、いくつもお茶碗や湯呑などを作ってくるのですが、中に30分以内でお茶を飲んでしまわないと、お茶が漏れてくるというものもあって、そんなお茶碗ってないですよね。まあ、いろんなものを残してくれた方です。
母の作品(クロスステッチ刺繍)