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同志社中学の思い出

中学校は同志社中学でお世話になりました。とてもいい学校で、たくさんの思い出があります。母方の叔父は三人いるのですが、二人が同志社大学の卒業です。一人は大学のヨット部、もう一人は大学でラグビー部のキャプテンをしていたなどのこともあって、同志社は昔からよく知っている学校になっていました。

中学ではたくさんのクラブに入っていて、バスケット部が一番活動していたクラブですが、他には数学部というクラブがあって、週に1回だけ数学の難問に挑戦とか、数学の歴史を学ぶなどの部活動にも参加していました。もう一つ私自身がピアノを弾けますので、同志社ジュニアシンフォニーという部があって、ここでティンパニーを担当する部員がいないということで、部の顧問の先生から、高柳君はピアノが弾けるので、ティンパニーくらいは大丈夫だよね?演奏会の時だけでいいので、参加してくれないかと言われて、なんでもハイハイと答えるいい生徒だった私は、演奏会の直前だけこの部にも出入りしていました。やってみるとティンパニーもとても難しい楽器で、実は顧問の先生の言うような簡単なことではありませんでした。でも今となってはとても楽しかった思い出の一つになっています。

一番大変だったのは、英語暗誦大会というもので、同志社中学では学内の中学生版の英語弁論大会のようなものが毎学期開催されていて、これはだれでも出たい人は歓迎という大会だったので、1年生の時から毎学期出場していました。この学内の大会で毎学期すべて私が優勝していました。2年生になった時に英会話クラブの先生から同志社代表として京都大会に出場してほしいと言われて、これも簡単に引き受けたわけですが、その後が大変でした。同志社の名前を背負って大会に出るわけなので、同志社中学には当時アメリカから二人の先生が来られていて、グウィン先生とラッシー先生の二人の特訓を毎週彼らの家に行って、1時間くらいのレッスンを1年くらい受けさせられました。どちらの先生も日本語がほとんどできなかったので、とにかく何もかも英語で話さないと何も通じないという大変なレッスンだったわけですが、後から考えると、これが英会話の特訓になっていたわけで、発音もあれこれすごく注意をされましたので、今は外国に行ってもきれいな発音だとどこでもほめられることが多いのですが、こういういきさつがあったわけです。

京都大会は3位だったのですが、後から指導した二人の先生からは、もっと話す際のジェスチャーを入れるように教えておけばよかったとあやまられました。大会後の評価を見ると、表情やジェスチャーの評価がもっとよければおそらく優勝だったとか、、。とにかく私は指導された通りにベストを尽くせたと思っていたので、まあ楽しかったなあという大会になりました。この経験は大きなもので、以後人前で何かを話すということには全く抵抗がなくなり、国際美容外科学会の会長として、多くの人々の前でも何の抵抗もなく英語でのびのび話ができるようになったのは、中学でのこの経験が生きているように思います。二人のアメリカ人の先生には今でも感謝感謝です。

 

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