医学部での試験
そもそも医学部って試験が多い学部だと思います。医学部は大学生活が6年間あるわけですが、5年生、6年生の頃になると、ほとんど毎週試験です。試験の数が多いのもいやですが、落ちると追試があって、これもプレッシャーがかかります。通常筆記試験ですが、追試は面接試験をする教授などもあって、これもいやなタイプの試験です、どう考えても。学生時代で特にいやだった試験はグループ試験と言われていたもので、たとえば解剖などはほぼ半年間ずっと死体解剖の授業が続くわけですが、基本的に大体5人の学生でご遺体が一人割り当てられて解剖の授業が進行します。この間ほぼ毎週試験があるわけですが、この試験が京都大学の場合は、同じグループの5人に対して一人の教官があれこれ質問をするわけです。一人ずつ順番に何周も繰り返して質問攻めです。この試験でいやだったのはもし一人が間違えたり、モゴモゴやってしまうと、この学生一人が不合格になるのではなく、他の学生がスラスラ全問回答をできていてもグループ全員が不合格になるわけです。迷惑をかけてしまった学生はグループの他のみんなにとても申し訳ないという状況になってしまいます。これはこれで学生にしっかり勉強しないと大変なことになるよと言っているようなもので、たしかにみんな頑張って勉強していたなあと思います。
このグループ試験以外でいやな思い出のある試験は卒業試験です。現在はどうもこういう試験風景ではないという話を聞いたこともありますが、私の頃の内科の卒業試験はクラスを3等分して、内科1,2、3の3つのグループの分けられて試験を受けることになっていました。それぞれの内科教授が一人ずつ口頭試問という形式で受験でした。これがとても不公平で、当時の第三内科の教授はもうとにかくほとんどの学生を不合格にするのです。第一内科や第二内科の教授はいつもほぼ全員合格で、この差はどういう理由?と先輩からも語り継がれていた問題です。試験はまず初診の患者さんの問診を学生が行います。患者さんは前もって試験に協力してくださいと説明がされていて、学生に症状を話したりした後に、内科の医師による診察、治療が行われるという段取りです。試験を受ける学生にとっては、どんな患者さんが当たるかわからないので、症状を真剣に聞いて、患者さんが部屋を出てからは自分で症状の確認、考えられる診断名、治療方針などを頭に入れてから教授の口頭試問を受けるわけです。当時の第三内科は免疫が専門の教授で、すべての質問がなんとなく免疫疾患につながっていくわけです。たとえば担当した患者さんがおなかが痛いくて下痢気味などの症状があれば、腹痛を起こす免疫疾患は何か?頻度の多いものから順番に言いなさいなど、そんな難しいことを言われてもなあ、、というような試験だったわけです。当然私を含めて多くの学生が不合格になって、追試でやっと合格になって無事に卒業ができたというわけです。今、思い返してもつくづくいやな試験でした。いつまでたっても試験のことが時々頭に浮かんで夢でうなされたりしています。