南アフリカ、ヨハネスブルグ
南アフリカは3回目の訪問になります。過去の2回はいずれも国際美容外科学会(ISAPS)の手術や治療の講習会、いわゆるISAPSコースと言われている学会のプログラムチェアとして1回、もう1回は国際美容外科学会の会長としての招待を受けての訪問でした。そのため南アフリカの学会会長に連れてもらってサファリに一度行っただけで、そのほかは全く観光をしていません。今回はどうしても見ておきたいところがあり、ヨハネスブルグとケープタウンを訪問することにしたわけです。
ヨハネスブルグでどうしても見ておきたかった場所は、ヘクターピーターソン博物館です。南アフリカの黒人差別、つまりアパルトヘイトの闘争の原点になる事件が当時12歳だったヘクターピーソンが白人の警察官に撃たれてなくなったこの写真にある光景です。亡くなった彼を抱き抱えているのが同じ学校の生徒、横の女の子は亡くなったヘクターのお姉さんです。この写真が世界に配信されて、アパルトヘイト闘争が始まったのだそうです。
博物館でいろいろある資料や写真を見ていると、当時のことがよくわかって涙、涙でした。もしヨハネスブルグに来られることがあれば、この博物館はぜひ行ってほしいところです。
ご存知のように南アフリカは長い間黒人差別があり、1976年に南アフリカ政府は黒人の子供たちの学校教育をオランダ語に近いアフリカーナ語という言語に強制しようとしたわけです。それに子供たちが反対して、自分たちが本来使っている言葉でなぜダメなのかとか、いろいろプラカードなどをもって、平和的な行進をしていたのだそうです。そこに白人の警察官たちが行進を止めるように警察犬を使ったり、催涙ガスを使用したので、生徒たちは石を投げて抵抗したのだそうです。最終的に警察は銃を使ったために170人くらいの黒人の生徒が亡くなりました。最初に撃たれた中の一人がヘクターピーターソンで、彼を抱えている生徒と、横にいるヘクターのお姉さんの写真が世界中に配信されて、それ以後大学にもこの闘争が広がり、黒人以外に白人の大学生も多く参加したと言われる激しい運動に変わりました。それ以後国全体で暴動が起こり、最終的に国連による制裁を受けることになったわけです。
その後黒人解放運動のリーダーであったマンデラが投獄されたり、長い戦いの歴史のあと、ついに黒人を差別するという法律が廃止になり、現在の南アフリカになったわけです。その最初の引き金になったのがこの一枚の写真です。亡くなった彼を抱き抱えている生徒と横にいるお姉さんの叫び声は博物館の中で響き渡っているようでした。ヘクターピーターソン博物館でこの写真を見るだけでも南アフリカに来て良かったと思います。この博物館はヘクターピーターソンが撃たれて亡くなった場所に建てられています。