スポーツは大好きです
大体以前から運動することは大好きでした。小学生の頃はクラスのみんなとよく野球をして遊んでいました。中学ではバスケット部、高校では主に英会話クラブのキャプテンだったので、こちらが忙しかったのですが、ラグビー部の部員が13人しかいなかったので、試合では15人必要なので、公式戦の時だけ助けてあげるという調子で、試合前にちょっと練習に参加して、試合に出たりしていました。練習試合では何回か勝ったこともあるのですが、公式戦では3年間全敗でした。でも楽しかったですね。ラグビーを知っていたのは私の叔父が同志社大学のラグビー部のキャプテンで、当時ジャパンにも入っていたような人だったので、彼の影響もあったように思います。ルールもよく知っていましたし、私が同志社中学にいた時は3年間、3学期の体育の授業は毎週ラグビーで、試合経験もたくさんあったからです。でも大学からはずっと今でもソフトテニスをしていて、今もほぼ毎週京都大学にコーチとして指導に行っています。これ以外に小さい頃からスキーが気に入っていて、毎年何回もスキーによく行きます。大学の頃はほとんど信州で、赤倉、池の平、志賀高原、丸池、白馬、など何回行ったかわかりません。信州以外でも時間がない時は琵琶湖バレーなども朝の4時くらいに起きてよく日帰りで行っていました。
私の妹もスキーが大好きで、子供の頃は家族全員であちこちによくつれてもらっていました。妹が中学生の頃までは私のほうがスキーはずっと上手だったのですが、妹が同志社高校に進学して、ここでスキー部に入部してからは急にスキーが上手になって、たしか妹が高校3年の頃に一度一緒にどこかにスキーに行ったことがあります。私自身はいつも妹よりスキーがうまいという頭があったわけですが、スキー部にいると急に腕を上げるようなことになるんですねえ。すごい急斜面をほぼまっすぐ滑り降りていく妹を見て、唖然としたことを覚えています。私はどちらかというとスピードを求めていたというより、いかに美しく斜面を滑り降りるかという調子でやっていたので、山の下のほうで私を待っている妹をみて、もう二度と一緒にスキーにはいかないと思ってしまいました。妹はその後同志社大学のスキー部に入り、国体にも何回も京都代表で出場し、西日本の大会などではいつも優勝してよく新聞に名前が出ていました。西日本ではアルペンの女王などと言われた妹ですが、さすがに全日本になると、北海道や長野あたりの女子には勝てなかったようです。私自身今でもスピードは目指さないで、優雅に美しく斜面を降りていくというスタイルで今もスキーを楽しんでいます。白馬の頂上から下まで何分何秒で滑り降りたとか妹は言っていましたが、そんなに急いでどこに行く?とか思ってしまいますよね。美しくキラキラ輝く真っ白の世界に見とれながら滑るのが楽しいのです。冬になるとウズウズしますよね。