赤十字病院の思い出
私自身は形成外科医として最初に勤務したのが京都大学病院でした。その次に大阪赤十字病院の形成外科で働いていました。この頃は上に形成外科部長、副部長がおられて、その次に4年上の先輩と次に私が平の医員として働いていました。ただ患者さんは私が一番多くて、これは当時、マイクロサージャリーという手術技術を私しかやれなかったこと、乳がんの乳房再建も他の形成外科医がどなたもできなかったこと、また当時の大阪日赤では美容外科も形成外科と共に診療科として標ぼうしていたので、美容外科部門の手術も先輩医師がどなたもされなかったなどの理由があったと思います。なんだかすごく忙しい毎日でしたが、いろいろの手術があって、多忙であっても手術が趣味みたいなところもあったので、楽しく働いていたのを覚えています。
この大阪赤十字病院で働いていた時に赤十字という組織は、こんなことになっているんだなあと何度もびっくりしたことがあります。赤十字で一番驚いたのは、看護師さんがすごくたくましいということでした。特に赤十字病院という組織では将来看護師長などに昇進するためには1年間東京で幹部候補生になるための訓練を経験しないといけなかったわけです。これは多分今でもそのままだと思います。どんな訓練をするかというと、とても簡単に説明すると日本が戦争に巻き込まれた時、どう対応するかという訓練です。このことはとても驚いたことでした。平和に慣れている私たちですが、赤十字という組織では戦争になった時、あなたは看護師としてどのように仕事をするべきかという訓練が行われているのです。実際にどういう訓練が行われているかというと、いろいろの宗教を勉強する、とにかく英語で話す、聞くという訓練、それからいろいろの本を読まされて、5人くらいのグループで、討論をするのだそうです。自分の意見を言って、それになぜそう思うのか?とかこういう反論もあるが、あなたはこの意見についてどう思うのか?などなど、厳しい訓練なのだそうです。これで全国から集まった幹部候補生の半分近くが脱落して、元の病院に戻るのだそうです。根性のない看護師はいらないということが徹底しているようです。看護師さんとしての技術や知識の訓練はほとんどないそうです。教えられることは戦争では敵の兵士であっても、病気や外傷があれば、助けなさいということ、また他の医師や兵士、政府などの人間、などだれがどのような指示や命令をしても、医療に従事する人間としてそれは違うと思うことは従うなということ、戦争では国の説明や命令でさえも信じてはいけないことがある、自分が看護師として正しいと思うことを自分の部下の看護師を統率して指揮を取りなさいというようなことを徹底的に叩き込まれるのだそうです。これはもう聞いていて、すごいなあと感動したりびっくりすることばかりでした。日本は戦後国内が平和であり、こういう話を聞くとあなたは平和ボケと言われているような気がして申し訳ないような、情けないような、、、そんな気分になりますよね。そういうことを聞いてからは、大阪赤十字病院の看護師長って、にこやかな人も多いような気がしても、本当はやる時はやる人ばかりなんだなあと尊敬のまなざしで見るようになってしまいました。赤十字って世界的な組織なので、実際に今も戦場で活躍されている医師や看護師さんもたくさんおられるわけです。また赤十字病院にいた頃にこれらの訓練を終了した看護師さんから聞いた話では、各科の部長クラスの医師以外の勤務している医師の多くは逆にこういう訓練がないので、実情を知らない人が多く、たとえば日本や外国などのどこかで戦争や大災害などが起きた時、その地区への派遣医師が足りない場合は、この病院の外科や内科、整形外科、救急部、麻酔科などの医師はいつ、どこに派遣されることになるかわからない、みんなそういうことを知らないで働いているんだけどね、、、などと言われてびっくりしていたことがあります。世の中って、こういうことを考えて、ちゃんと準備をしている人がいるんだなあって、びっくりしますよね。赤十字おそるべしです。ホント。